いわゆる凌空勁、手も触れていないのに、相手を飛ばすことができる、これぞ気の力! みたいな話がありますが、実際のところどんな感じなのか、私の体感から考察してみます。
「気」がどうのこうのは、とりあえず考慮に入れません。わけがわからなくなるので。
太極拳の推手の延長の話です。飛ばされる方も、聴勁ができて掤勁を張れている、ある程度以上のレベルであることを前提とします。
普通の推手であれば手が触れていますが、これが少々離れても、相手の掤勁を聴くことができるくらいシンクロし、手と手の間の空気に圧力がかかっているようなかんじになります。
空気を介して押されると引きたくなるし、離れると戻りたくなり、ゆらゆら揺らぎの影響を受けます。離れているのにダイレクトに勁を受けているような感じです。
目力とか、気の圧力みたいなのも含まれているようにも思えるのですが、そこはおいときましょう。
このユラユラの揺らぎの中で、だんだん詰められます。双重状態に嵌め込まれて、行き場がない限界!というところまで追い詰められたところの、最後のひと揺れで、私はパンッ!と飛びます。
日頃、接触した状態で発勁を受けて飛ばされるのと、感覚的には全く同じです。
推手を詰め将棋や囲碁に喩えれば、離れている推手は、盤も駒や石がない状態で、言葉だけで打っているようなもの、と聞きまして、なるほどなあーとすごく納得感がありました。
お互いが将棋盤を想像して「2二飛車成り」「同角」「3二角成、王手」「参りました」みたいなかんじですかねー。
これも、両者一定以上のレベルでなければ成り立たない話でしょう。
途中で、デタラメに動いて聴勁をオフにしてしまえば、いわゆる凌空勁は無効にできるんじゃないかと思います。
ただし、術中にハマっていると、自らは逃れられないというか、そんな気もするのです。
傍から見れば摩訶不思議な世界に思えましょうが、当事者が感じているのは、そんなメカニズムです。
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