妄想より練習

前回の「勁と力」のお話で、Uさんからコメントをいただき、そのやり取りがまた、含蓄ある話につながりましたので、さらに考察してみます。

こういうのっていいですよねー。

巷のSNSを見ていると、不毛な悪口合戦が目立ってゲンナリすることが多々ありますが、このブログの読者様は良い人ばかりのようで、おかげさまで、攻撃的なコメントや貶めるようなコメント、荒らしコメントをいただいたことはありません。

そもそも閲覧数が少ないってこともありましょうけど。

万一、変なコメントをもらった場合は承認しないだけですが、嵐の中にも一筋の光が見えそうなコメントであれば、そこから考察を広げていきたいと思います。

さて前回、力と勁の違いなど理論的に考えてもキリがない、こんなかんじーと擬音語をズラズラ(これも擬音語)並べて比較してみたわけですが、実はUさんは理論派ではなく、大阪芸大卒の変態的感覚派ということでした。

なんとっ!

太極拳を好む人って、芸術畑の人が多いですが、Uさんもそうだったのかー。

学生時代、私はバリバリの体育会武道系所属でしたが、太極拳教室で会う人って、芸術系の学校の人が多かったです。このごろはアニメ関係の人とか多いみたいですね。

かくいう私もギター弾きだったし、この頃はにわかピアニストです。

というわけで、Uさんは、勁を言語化して理解できないとお嘆きだったのではなく、体感的に肚に落ちる「悟り」的なものが得られないと、もがいておられたのでした。

それに対する私の回答がこちら。

心のモヤモヤが晴れない、しっくりこない、これは素晴らしい段階です。そういう人への処方箋は明確でして「わかるまでやり続ける。やられ続ける」です。太極拳学習者には、感覚より理屈を重視する属性の人もおられまして、そういう人々は、練習よりも、あーだこーだと言葉遊びを積み重ねることを好みます。そんな方々には「まあ、がんばってください・・・」とあきらめ気分で見捨てるしかないんですが、Uさんには「がんばってください!」とエールを送らせていただきます!

練習や試し合いをさんざんやっていく中で、「わからん、伸びない」と悩むのは、達人への道の途中にある通過すべきポイント、一段階だと私は考えております。

それは脳味噌を絞って考察したところで解答がでるようなものではなく、頭を空にして、体を動かしているうちに、フッと天から閃きが降ってくる類のものです。

Don’t think, Feel !

閃きが降ってくれば、一気に上達していくことになるかと思います。がんばってください!

Uさんへの「がんばって」は素直な応援ですが、もうひとつ皮肉っぽい「まあ、がんばってくださいな…」というのは、気がどうのこうの、発勁がどうのこうのといった、言葉遊びの妄想を重ねている人たちに対しての私の思いです。

気功をやりたいってならば、それはそれで悪くないと思うんですが、気とかハンドパワーとかを太極拳修業の入り口にしたりゴールに設定すると、永久に、門の前までにも辿り着けないように思うのです。

私が太極拳を始めた動機は武術としてです。視力が弱く、どんくさくて機敏さに欠ける私は、剣道や少林寺拳法の習得に苦労しており(それでも三段)、そんな私でもモノになる武術はないかいな?と求めて、これだ! と思えたのが太極拳だったのです。

徹頭徹尾武術として太極拳をとらえてきましたが、やっているうちに体の感覚とか、脳味噌の閃き感覚とか、変化してきました。

「気」なんて求めたこともないし、深く考えたこともありませんでしたが、この頃は「気の働きって確かにあるなあ」と感じています。

これが人間本来の自然のパワー! というふうに思えるようになってきたのであります。

妄想優先の人は、「気」を追い求めていれば上達すると信じておられるようで、私に対しても「あなたとは順番が違うだけ、いずれは達人になれるのよ」みたいなことを言って、あっちこっちの講習会やらセミナーに参加されているようですが、いやいや、自分と私を見て比べたら、どっちが近道通ってきたか、わかるやろ! と思うんですが、本当にわからないようです。

そんな人との議論は不毛なので、「がんばってください…」となるわけですね。

あー、こんなことを書いたら、悪口コメントが嵐のようにやって来そうだ!

そんな人は、私の文章は真面目に読まなくていいので、ブログ広告を見て、何か買い物でもしていってください!

(TikTokとTEMUは非推奨)

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