勁と力の考察シリーズ、第5弾です。
前回、「勁」と「拙力」話をいたしましたが、太極拳では徹頭徹尾、拙力を使わず、勁だけを用いたいのです。
通常モードでは、ガサツにガサガサ動いていて、ここ一番の時に「発勁!」というものではありません。
推す、引く、上げる、下げる、すべての動作は、纏絲の働きによる骨組みの構造の操作で、勁を発しています。
常に発勁状態。触れれば発勁。立っているだけでも発勁。座っても発勁。寝てても発勁。いや、寝ている時は無理か…。
細かく言えば、「発」の前に「蓄」と「化」があり陰陽が移り変わり続けてはおるのですが、なんにせよ、一瞬たりとも拙力は使わない、というのが太極拳のあらまほしき姿でありましょう。
このことを先人は「不用力」と言ったのだと思います。
しかし、拙力を使わないというのは、難しい話ではあります。
私は、拙力より勁を用いている割合が多くなってきたと自負しておりますが、やっぱり拙力が出てしまうことは、ちょいちょいあります。
崩されそうになって、あっヤバい!と一瞬固くなったり、踏ん張ったりするのは、拙力の表れです。上手な人はその隙を見逃すはずがなくて、勁で持っていかれます。
また、相手を崩しかけていて、もう一押し!という時も、つい拙力を出してしまいがちです。それは間合いが遠かったりして、適切な骨の構造に至っていないのを、筋力で補おうとしているのです。
歩幅を変える等、骨組みの構造をさらに変化させるべきなんですが、その操作が未熟で、慣れている拙力に頼る。つまり太極拳になりきれてないのです。
相手の腕などをガッシリ掴んでしまう、これはモロに拙力の表れです。
勁が未熟で、相手を押せないとか、相手が入ってくるのを止められない時、焦りや恐怖感からくる反応でありましょう。
関節技も勁を用いて、自分と相手の骨組みの構造をうまく操作できれば、拙力はいらないです。その理解がない人は、腕力で手首や肘をこねくり回そうとしますが、それは太極拳ではありません。
拙力でも、大きな力、速い動きであれば、相手に勝つことはできます。より速く、より高く、より強く! オリンピック!
そこを目指して、筋力増強の鍛錬をする格闘技はなんぼでもあるでしょう。
未熟な勁は、速くて強い拙力に負けます。
ろくすっぽ勁の練れていない表演専門の太極拳家なんて、極真空手入門一カ月の人に瞬殺されると思います。
しかしそこで張り合って、バーベルを上げたりサンドバッグを蹴りだしたら、太極拳は遠のきます。
拙力を使って勝つより、負けて勁の未熟を知る方が、太極拳は上達します。
「技は力の内にあり!」は大山倍達先生のお言葉ですが、太極拳の上達を目指す人は、「力」を「勁」に読み替えると良いですね。
筋力に頼った雑な力は排除して、精錬された、より効率的な、骨を通る最速の、地球の引力を借りた最大の、勁を得るために、腕立て伏せではなく、纏絲功を練るのが良いです。
焦らず腐らず諦めず、ボチボチチンタラやってまいりましょう!
(この記事を書くにあたり、極真の人が書いたブログを読んだのですけど、ウエイトトレーニングもバーベルよりダンベルの方が空手の動作にマッチしていて効率的だ、なんていう記述が見受けられまして、達人レベルの人はやっぱり、力を勁にまで昇華させていくんじゃないかなあと、ふと思った次第です)
コメント
いつも精読させて頂いております。
特にここ最近の内容に色々質問したいことが浮かんでくるのですが、いかんせん奥が深すぎてどこから手をつけていいのか分かりません(汗)。
>すべての動作は、纏絲の働きによる骨組みの構造の操作で
これなんですよね。しかし「纏絲の働き」をどのように導き出せばいいのか、、、。
>焦らず腐らず諦めず、ボチボチチンタラやってまいりましょう!
はい! これなんですよね。 チンタラを続けて訪れを待ちます。
どうもありがとうございました。
おやじさま、ありがとうございます。
”「纏絲の働き」をどのように導き出せばいいのか、、、。”
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↑
まさにこれこそ!
初伝にして秘伝、極易にして極意、伝統の基本纏絲功です!
映画ベスドキッドで、ミヤギ老人がダニエル君にやらせたような、一見なんの目的かわからない謎の動作こそが、纏絲を導く陳氏六百年の歴史の中で編み出された最も効果的効率的な訓練法なのです。
そこをすっとばすと、永久に太極拳はわからないです。
秘訣はひとつ「アホほどやる。」(by安田老師)
こんばんは、Uです。
このところの勁と力の考察シリーズ、毎回精読させて頂いております。
ずいぶん以前の記事に、
「いちばん大切なことは、正しい形で動けるようになること」
「形が正確であれば、勁は自然発生するものである」
といったことが書かれていたのを、これこそ「勁」を理解するためのヒントだなと思い、心に留め置いていたのですが、このところのシリーズは、さらにこの点を深掘りして解説して頂いているような内容となっておりますね、ありがたや。
太極拳と言えば、やはり「気」の武術、というイメージが強く、「勁」とはなんぞや、と考える時、「気」とセットに(あるいは混同)してしまい、いらぬ神秘的な効果を期待しすぎていたことが、理解の妨げになっていたのではないかと、本シリーズを読んで思った次第です。
まずはシンプルに「効率よく力を発せられる骨構造を、推手の流れの中で筋力に頼らずに作る」ことに徹するようにしようかと思います。
えーと、考え方間違っているようでしたら、是正お願い致します。
Uさん、ありがとうございます!
ご理解、パーフェクトです。
まずは形(見せかけでなく要諦に沿った形)、そして内功の自然発生、それからアレコレと深いところに進むのが達人への最速ルートだと考えております。
私はずいぶん回り道して、ようやく理解しました。
「気」については、まだ語れるほどの気づきはないのですが、他武術の「気」の概念と混同した人が混乱しているのではなかろうか? と考えております。
以前、合気柔術の道場にお邪魔した時、「気」だと説明を受けたものが、まんま「太極拳の勁」に当てはまることでした。
太極拳で言う「気」と、合気柔術で言う「気」は別物だと私は気づいたのですが、一緒くたにすると混乱しますね。
太極拳の「気」については、もっと広い概念のように思います。
私程度のレベル人が、「気」についてアレコレ考えてもしょうがないと思っておりまして、自然な気づきを待っている状況です。
なんか新発見がありましたら、このブログに書いてまいる所存ですので、しばしお待ちください。(何年かかるかわかりませんが)