武術界における「気」の概念

私の表演動画を見て、「すごいですねー、気で動いているんですねー」という感想をくれた方がいまして、ありがとうございます、といいつつ、気は見えへんやろ…と思ったりして。

道場の先輩は、グループラインにいろんなYouTube動画を放り込んで、勁だ気だと蘊蓄を垂れておられますが、なんだかなー。

合気柔術の教室で感じた事と、先輩がアップした古武術の説明動画を見て思うことは同じなのですが、どうも日本の武術界隈でいうところの「気」は、支那武術でいうところの「勁」のことではなかろうかと思うのです。

つまり言語の違いです。

「腕」は手首、「腰」は骨盤じゃなくてヘソの辺り、「脚」はクルブシより下、「手紙」はトイレットペーパーといった、中国語と日本語の違いみたいなものではなかろうか。

相手を「気」で動かすと言って、棒越しに崩したり、帯や襟を軽く引っ張って倒したり、なかなかの技術だとは思いますが、これは太極拳的には「勁」の働きの範疇です。(私もできるし。相手によりますが)

「勁」という言葉は日本武道では使いませんから、つまり中国武術用語の「勁」ほぼイコール、日本武術用語の「気」ではないかと思うのです。

合気柔術とか古武道を学ぶ人同士が、共通の認識を持って同じ言語で語るのはいいんですけど、その、字面は同じでも概念が違う用語を、そのまま太極拳の説明に持ってくると、大いなる誤解と混乱が生じますね。

というか、すでに相当浸透していて、なんのこっちゃ頭クルクルパーになっている人が多いように思えます。

わかってない人が、知らない人に、聞きかじりを語ったりして、どんどんカオスなことに…。

ほんだら、太極拳で言う「気」ってなんやねん!?と聞かれれば、これはちゃんと太極拳の書物(陳沛山先生の本とか)に書かれていますので、それをそっくりそのまま説明はできます。

しかし、私自身の体感として、まだあまりピンと来ておりませんので、自分の言葉に置き換えての説明ができません。だから私は人に「気」についての説明はあんまりしないのです。自分の言葉じゃないと嘘っぽくなるし…。(繰り返しますが、説明はできます)

「勁」についてであれば、これはなんぼでも実感を持って自分の言葉で語れます。

初心者の人には初心者でもわかるように、中級者にはそれなりに、猛者どもとの語り合いの中では「勁」という言葉は使いませんけど、ちゃんと議論できます。このあたりの面々だと、お互いに体感を持ってますので、言語を超えた理解ができますね。

そこで「気」なんて言葉を持ち出す人は、猛者の中には見当たりません。

逆に、ものすごくオリジナルな自己流の言葉で説明される人とかいます。それはそれで、その人のレベルに近い人でないと理解できませんけど。

体感を理解も表現もできない人が、なんかよくわからん「気」を持ちだして、ザックリ逃げるんじゃなかろうかねえ、と思ってます。

YouTubeの達人も、深く質問されると「気」とか言わないで、なんとか自分の言葉に置き換えようとされてますね。いろんな角度から説明しつつも「わからへんやろなあー」みたいな気持ちが見えてくるようで、面白いです。

ということで、自分が理解していないことは、上から目線で人に語るべきではない、という戒めと教訓でありました。自分の考えを表明する分には構わないですけど。

武術に限らず、政治の話とか、宗教の話とか、わからんことは、わからん、教えてください、という態度が宜しかろうと思います。

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