低架式の話で思い出しました。
ちょっと前、沖縄三線のお稽古のあとの宴会芸で、ちょこっと套路を披露したことがあるのです。狭い畳の部屋で、低くやりました。
その場に、空手家が二人いたのですが、二人の感想が真逆で面白かったのです。
「そんな低いポーズはありえへん」と批判的なA先生は極真系空手教室の師範代です。私とは長い付き合いですが、私に対してマウントを取り続けていないと気が済まない人なので、その感情もあって、否定的な意見が出たのかもしれませんけど、それを差し置いても、太極拳の低架式は、極真A先生の常識ではありえない姿勢だったのでありましょう。
B先生は、沖縄伝統空手の人で、学生時代には日本代表選手にもなったことがあり、中国での生活経験もあられます。
「中国拳法は、こんなかんじさあ~」といった感想でした。中国で見慣れておられたんでしょうね。
沖縄の踊りの練習では、「それだと太極拳さあ~」と注意してくれるのもB先生ですけど。
マウント取りと、中国留学というフィルターが入ってはおりますが、フルコン系と伝統系では、モノの見方が違うんじゃないかな?と感じられて、面白く思ったのです。
幼少の頃に空手バカ一代を読んだ影響もあって、私も、寸止め伝統空手はアカン、本当のどつきあいのフルコンこそが強いのだ、と思っていた頃もあります。
でも、今の評価は逆転です。
若い者がガンガン鍛えて、パワーとスピードとガッツの大きい方が強い、破壊力の強い方がエライ、やればやる程、体ボロボロ、そして、なんか根性歪む、というのが私のフルコン系に対する偏見です。
実のところ、A先生は、病気になって手術を繰り返して、空手はすでに引退しておられるのですよね。
伝統空手の人は、あんまり縁がないのですけど、B先生の演武は見たことがあります。厳しい面もありますが、だいたい穏やかでフラットで、いまだに現役バリバリです。
老境になっても、追い続けられるのは、伝統拳の方じゃないかなあという気がするのです。
太極拳の場合、伝統の方が実際に打ちあったりして武術的ではありますが、制定拳にしても、フルコンにしても、結局、競技に振ってしまって本筋から外れているように思えるのです。
成績によって、値打ちが上がったり下がったりする世界、私はいらんなあ~。
大会には面白半分出ますけど、年に一度や二度の大会での評価より、毎日の成長が生涯続くという伝統文化の方に喜びを感じております。
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