太極拳の指導方法

今年に入ってから、推手道場に来られるようになった人がいます。希少価値ある、私より年下の男性です。

太極拳歴は長く、教室も持っておられるようですが、推手も学びたいという殊勝な心掛けで来られました。えらい!

にこやかで控えめ、気配り上手の良い人ですが、推手をすれば本性が見えるものです。負けたくない、勝ちたいという気持ちが強く滲み出て、己を捨てることがなかなかできません。

まあ、男性はたいがいそうですね。私もそうです。私はだいぶ自然体になってきたようには思いますけど。

この人は、どうしても、前のめりに踏ん張ってしまったり、腕力で持ち上げようとされる傾向がありました。

そのたびに化勁発勁で崩される感覚を味わってもらっておりますが、なかなか思考回路の書き換えができない様子。

で、思い付きの口から出まかせに出たのが、「相手と一体になるつもりでひっついて下され」ということでした。

我と彼は、別々の物体であり、我から彼に影響を与えるには、力を伝達するためのパーツ、ハンドルやら把手やらレバーやらを手に取って、力を込めて操作するというイメージが、あると思うのです。

しかし、相手と接触したとたんに我と彼は一つになったと考えれば、そんな操作は不要、相手は自分の一部です。

一つになったといっても魂を取り込んだ!みたいに完全に同一化したわけでなくて、リュックサックを背負っているとか、赤ちゃんを抱っこしているとか、自転車に乗っているとか、そんな感じですかね?

鍋やらテントやらが詰まった重たいリュックサック、バタバタする赤ちゃん、坂道で勝手にスピードアップする自転車、これらを扱うのに力づくになっても意味がないわけで、自分の体の一部のように扱う、そういう感覚になってもらえれば、という意図であります。

自転車にハンドルはついていますが、こねくりまわして曲るわけじゃないですものね。

そこまで深く考えていたわけではないですが、ふっと「相手と一体に」と口から出まして、すると「なるほど!」と閃いてくれたみたいで、力加減が様変わりしました。

おお、なんか上手になった! と自分の指導能力をほめてあげたいです。

近頃は、けっこういろんな人にアドバイスとか指導とかするようになってきましたが、相手に合わせて、伝える言葉は変わります。同じことを言っても、伝わらないなーと感じています。

相手が、意識の表層で求めていることを、いくら丁寧に伝えたところで変化はないのです。知的欲求が満たされたと勘違いさせるだけです。

本人が気づいていない、考えたこともないような、足りないピースを深層心理にお届けして、パラダイムシフトを起こさせると、突然変異します。

うまく変異してくれると、とっても面白いです。これが指導者の醍醐味なんかなあ?

私自身、安田先生に散々パラダイムシフトを起こしてもらったので、この喜びがよくわかります。

思えば昔、学生時代の少林寺拳法部での後輩指導では、二列に並ばせて、だれでも彼でも十羽一絡げに指導しておりました。

監督に「お前には愛が足りん!」と言われたことを思い出します。

愛も足りなかったし、伝えるほどの技量も知恵も足りなかったよなあ、私も随分成長したもんだと、うれしく思います。

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