昇級、昇段って、修行の励みになるんかなあーと、ふと考えました。
私自身は、学生時代に少林寺拳法の三段中拳士の允可状をいただきましたが、どこかにいってしまって所在が分かりませんでした。全然気にしてなかったのです。
結婚した時に、荷物を整理していて、母が保管してくれていたのを見つけて、あっ、こんなとこにあったわ、というかんじ。
初段で黒帯になった時はうれしかったものですが、段とか認定とか、別にいいやあ、という気持ちは、たぶん昔読んだ一休さんの逸話が影響しています。一休さんが、悟りを開いたとかなんとか書かれた証明書を偉い人にもらったのですけど、こんなもんはくだらん、といって焚火に放り込んでしまうのです。
かっこいい!
自動車の運転免許は、おおむね取得してますが、これはいろんな車に乗りたかったからです。免許なしに運転したら違法ですものね。
車の免許とちがって、段がなければ使ってはいけない技なんてありません。太極拳には黒帯もありませんし、段位に何の魅力も感じない私です。
周りには武術太極拳連盟の昇段試験にチャレンジしている人が、まあまあおられまして、まあ、がんばってください、とは思うのですが、有段者のレベルが高いとは全然思えません。
推手をしていた相手が、実は段持ちだったとか、指導者の資格をもっているとか、あとから聞いて、えっマジで?と思ったりします。
どういう基準で昇段していくのか知りませんけど、実力と釣り合っているのであろうか?
私が昇段制度を作るとしたら、キッチリと、わかりやすく、納得できるものにするなあ。
昇段基準の案。
初段:老架式一路をキッチリ覚えて、ある程度、正確にできる。
二段:推手がある程度できる。定歩、活歩、大捋くらいはこなせる。
三段:刀、双刀、大刀、剣、槍、棍、老架式二路ができる。発勁を自在にコントロールできる。
四段:武器の対練に習熟している。新架式を理解している。他流派との手合わせも、さほど苦も無くこなせる。
五段:日常生活すべてが太極門。太極飯も美味しく作れる。伝承者として申し分なし。
連盟の審査基準より少々厳しめかもしれませんが、段位と実力がちゃんと釣り合うものになっていると思います。
昇段試験は特になくて、師匠が日頃の修行を見極めて、生徒の誕生日とか、中秋の名月とか、一年に一回くらいのタイミングで、認定書を授けて、祝賀会をする、みたいな感じがいいと思います。
ちなみに私の主催する教室のメンバーは、初段にも程遠いです。これは指導者の能力不足かもしれませんが、週一回のレッスンじゃ無理! という気もします。
ちなみに私は、二段ってところですかね?
コメント
ご謙遜を、、、。
おやじさま
コメントありがとうございます。
昇段の条件をシステマチックに当てはめると、武器を修了していない私は、二段ということになるのです。
ですので、ぜんぜん謙遜じゃありませんよー!
先生が見たら「老架式が正確にできてる?微妙やなー」とか言って、初段も否認されたりして。