「ルソン島敗残実記。」感想・レビュー

ルソン島での戦闘の本、4冊買ったうちの2冊目です。

前のは小説風でしたが、今度のは日記風です。

戦場でつけていた日記を終戦後に持ち帰ったというのではなく、米軍の収容所で思い出して書いた、ということです。

前半と後半では、雰囲気がまるきり変わります。映画ディアハンターみたい。

満州から台湾、ルソン島、途中で船が撃沈されるという流れは、フィリピン敗走記と同じですが、なんだか、著者の性格のせいか、陽気なのです。

矢野さんは、一番下っぱではなくて、上等兵であり、少しは融通がきいたようで、けっこう勝手気ままなことをやってます。私的制裁は、する方です。

台湾では電話交換室に侵入して、交換手の女の子と日本の歌を合唱したり、フィリピンでは駐屯する先々で、現地人の友達やガールフレンドを作ったりして、人生最良の日々であったとまで、書かれておりました。

タガログを覚えて、ユーモア精神を発揮して、現地では「ヤノー」と親しまれ、人気者だったみたいです。

しかし後半、戦況がシビアになると、一変します。

ジャングルの奥地に進み、戦闘が激化し、戦友はどんどん死にます。

マラリアにはかかるし、食料はありません。ジャングルって、なにかしら食い物がありそうなものですが、フィリピンのジャングルには、ほとんど食用にできるものがないようです。

負傷した兵は、歩くのも難儀で、ライフルも持たず、ナイフと自決用の手榴弾を持って、米軍の攻撃から逃げて、ずるずると移動するだけ。熱発と回虫に苦しみます。

近くで爆発音がしたと思ったら、兵隊が自決した現場だったり。

こうなったら階級もへったくれも関係なし。強い者がリーダーとなります。

立ち寄った村に残っていた老婆を、スパイの疑いで刺し殺します。

食事を提供してくれた現地の人も殺します。

土地の娘を犯します。

このあたり、ぼかした表現でして、著者は仲間の犯行現場の見張りをしていたような、参加したような、よくわからない書き方なんですが、あとがきでは、犯罪行為はなんでもやったと書かれてたので、やったんでしょう。

物語の前半では、強姦した兵隊がいるらしいと批判的だったのが、後半では当事者になっているのです。

前の「フィリピン敗走記」は、人間を食うことについて、哲学的な考察があったりして、死んだ兵隊の肉をいただくことを善だとしていたのに対し、今回は、腹の立つ衛生軍曹が寝ているところに爆弾を投げ込んで爆殺して、その肉を食い、死に値する罪だと思うようになります。

途中から、長野という歩兵部隊の兵長が登場します。鉄砲水の河原で助けてくれた人です。

物腰柔らかく親切な人で、階級は上なのに、矢野さんにも丁寧です。

衛生軍曹を爆殺したのは、中村という元からの仲間ですが、軍曹のお肉を調理したのが、この長野さんです。「食ったら癖になるから、お前らは食うな」と忠告はしてくれますが、みんな生きるためです。やはり食います。

私の祖父は、もしかしたらこの長野さんのようなタイプじゃなかったのかなあと思ったりします。祖父のキャラクターは全然知りませんが、私と似ているとしたら、こんなかんじになりそう。

前の本にも、単独行動をして人肉を食っている兵隊が出てきました。

戦争の狂気を少し冷めた目で見て、やっとられん、人道にもとるようなことはしたくない、でも、死人の肉を食うことの何が悪い? 合理的にいこうぜ、みたいなかんじ?

「長野」の名前は、祖父と一字違いであり、登場人物は仮名ということなので、もしかしたら…と思ったりするのです。同じ兵長だし。

ちなみに祖父の娘、つまり私のおばさんの嫁入り先が「長野」です。それは関係ありませんが。

長野兵長は自分の部隊を探すために別行動することになり、その後は出てこないので、生死はわかりません。気になるところです。

日記の終盤は、収容所生活のお話と、後日談として30数年後にフィリピンを訪れた話があります。

まだ平和だったころに仲良くしていた現地の人達と再会でき、大変な歓迎を受けます。

でも、戦争の終盤、日本兵が現地でやったことを、この現地人たちは、知らないこともないと思うのです。複雑ですね。

地域が違っているので、別の人の話くらいに思われていたのかもしれませんけど、真相を知ったらどう思われるでしょうね。そこまで打ち明けはしていないと思います。

強く、気高く、正義感あふれる帝国軍人というイメージがあったのですけど、そうではなかった兵隊も多くおったのでしょうね。生きるか死ぬかの瀬戸際で、私もどうなるやらわかりません。

祖父がどのような最期を迎えたのか、いろんな可能性が見えてきましたが、実際のところはわかりませんね。

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