子曰わく、述べて作らず。

「こども論語教室」に毎月参加しているのです。

市会議員に当選した友人が、議員になる前からZOOMで開催していて、私も親子で参加していました。

最近うちの子も忙しく、私だけが参加していて、他の子供たちも参加しなくなったようで、実質は「おとな論語教室」です。

意味が分からずとも、素読することに意味があるってことでしたが、生徒が大人ばっかりなんで、解説もしてくれます。

今日は、述而第七「子曰わく、述べて作らず。信じて古を好む。窃に我が老彭に比す。」でした。

「孔先生がいわれました。私は昔からの教えを述べているだけで、何かを作り出しているのではない。先人の教えを信じ、古人の道を好んでいる。古い言葉を伝えたという老彭のようになろうと密かに思っている。」という意味だそうです。

論語って、孔子が作ったものではなくて、ベースになった教えが古くからあったのですね。

私も教室で太極拳を生徒さんに教えるとき、自分のオリジナルは入れないようにしています。

練習方法とか、表現とかは、その時の思い付きで色々、新しいことも試したりしておりますが、伝えたいことは、自分が習ってきたことだけです。

自分が習ったことを、その通りに伝えようとするとき、自分が習ったように、人に伝えても伝わりません。先生は、私がわかるように教えてくれているのであって、私向けの教え方をそのまま他人向けに流用しても、伝わらないのです。

ですので、伝え方には工夫を入れています。

でも、内容は、変えたりしません。私の作っているテキストもしかり。文字で伝わるように、表現にはかなり工夫を凝らしておりますが、中身は私が習ったものそのままです。

しかし、巷に出回っている太極拳の本には、著者のオリジナルが混じっているものもまあまあ見受けられますね。特に、他武道の人が書いたものは、それまで自身が学んできた理論を当てはめて、独自の解釈になっていたり、ハイブリッドになっていたりして、これはいかがなものかなあーと思えるものもあります。

これでわかったつもりになって、人に教えだしたら、習った人は困るやろうなあーと思います。

私も、やろうと思えば、少林寺拳法を混ぜることはできますが、それはやりません。自分自身が、完全分離させるのに苦労しましたから。

道を究めて、達人の域に達して、すべてわかった人であれば、孫禄堂みたいにいろいろ混ぜても整合が取れるかもしれませんが、半端者は、混ぜると危険ですね。

超一流シェフなら、カレー味の納豆軍艦巻きとかでも美味しく作れるかもしれませんが、一般家庭では、普通の具材で手巻き寿司を作った方がおいしいと思います。

科学技術の発展のためには、常に新しい工夫が必要だとは思うのですけど、礎となるものをおざなりにしていいわけではありませんね。特に芸事や、ナントカ道みたいなものは、先人の到達地点までは、素直にその通りになぞって歩むべし、と思うのでありました。

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