相手の師を感じる

D公園に、久しぶりにRさんが来られて、推手の練習をしました。

以前は、よく練習相手をしてもらっていて、切磋琢磨できる好敵手だと思っていたんですけど、久しぶりに手合わせしてみると、あれっ、こんなかんじだったかな?

私が上達したということもあるとは思うのですが、Rさんが下手になっているのですね。

以前は、岩のように固いなりにも、勁はまとまっていて、入り込む隙間は少なく、うっかりすると飛ばされる感じだったのが、このたびは、上下バラバラで捻じれまくってしまって、ちょっとズラすだけで立っていられない、というかんじになっていたのです。

もともと、Rさんは私が今も毎週通っている推手道場に通っておられましたが、お仕事や家庭の事情でこられなくなりました。

もうひとつ、夜にやっている教室は、今も通っておられるようですが、私はそちらの教室にはいかなくなっております。

そちらの教室は、生徒はそれぞれメインとする流派が違って、めいめい勝手に自主練習するというスタイルです。そこに伝人の先生が来られて、ワンポイントアドバイスをしてくれます。

そこでもRさんとは推手の練習をしていました。

私は陳式太極拳ですが、先生は陳式がメインではないので、教えてくれることは、わりと普遍的なこと、かつ生徒一人ひとりの特性に合わせた内容でした。ちょっとしたアドバイスで、すごくよくなるのがわかったので、価値を感じて通っておりました。

しかし、教室が移転して、私の家からは遠くなってしまったのと、安田先生と再会して、目指していた陳氏の武術そのものずばりが学べるようになったのとで、その教室はメインの学びの場ではなくなってきました。

さらに、教室を運営している別の先生の講釈が長くて、しかもそれがあまり腑に落ちず、行き帰りの時間と講釈を聞いている時間を考慮すると、自宅横の公園で練習している方がなんぼか身になるなあという気もしてきておりました。

さらに、コロナ明けで夜のイベントが重なることも増え、その夜の教室には、だんだん通う頻度が少なくなってきたのです。

全く通わなくなった決定的なキッカケは、講釈の先生がD公園に来られて、私に告げてくれたことです。

「うちの教室でやりたい推手は、足を止めてやる定歩推手なのに、君は歩き回るのが好きなようだし、合わないから来なくていいよ」ということでした。

私の気持ちが離れているのを察知して、きっと不義理を心苦しく感じているであろうと配慮してくれ、わざわざ会いに来て、先生の方から切り出してくれたのですね。

おかげで私はずいぶん心安らかになりまして、陳氏太極拳の学習に集中できるようになったのであります。いい人です。先生。

で、Rさんはその後も毎週、その夜の教室で定歩推手を磨いて来られたはずですが、今回、定歩でやっても活歩でやっても、すっかり好敵手ではなくなっておりました。

教室の移転のたび生徒が入れ替わり、最後は、Rさんの推手練習相手は私だけになっていました。私が行かなくなったあとは、練習相手がいなくなったのかもしれません。

となると、相手は伝人先生か運営の先生かになると思いますが、手の感じから推測するに、伝人先生ではないな、という気がします。

なんか、納得。

私がRさんにアドバイスするのは僭越なので、何も申しませんが、もっと広い世界で体感されたらいいんじゃないかなと思います。D公園に来られたのが上達復帰のきっかけになればよいですね。

それにしても、手を合わせた相手の指導者をも感じるようになってきたということで、ますます達人に近づいてきたんじゃないかなあと、ちょっと嬉しくもあります。

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