気沈丹田

「気」なんて、ようわからん、と書き続けてきた私でありますが、ちょっと感じてきました。

站樁功をしていてです。

朝いちばん、ベランダに立つと、寝起きはまだフワフワしています。「気」が浮いている感じですね。

これが、5分、10分立つと、だんだんズッシリしてきます。屁が出ます。

7階のベランダですが、6階も5階も突き抜けて、地面の下、地球の中心に向かって、ズブズブと刺さっていくような、まさに杭となって沈んでいくような気分になります。

なるほど、杭のように立つ、これが站樁功だなーと実感できます。

浮いていた気は、静かに落ち着いて、体と一体化して、密度の濃い重い液体のような感じになります。体の下の方にぎっちり沈殿していく感じです。

ああ、これが気沈丹田だなーと実感できます。

両手を上げて抱球を作ると、バランスが少し変わって、より気沈丹田感覚が大きくなります。

なるほどー。それでこの形なのだなー。

站樁功を真面目にするようになって2年。先人は、おそらくこの感覚を、站樁功として伝えたかったのであろう、という気がしてきました。

「気」の説明はうまくできませんが、この感覚じゃなかろうかと思えます。

以前、体の中をフワフワ動くものがある、これが「気」か? というブログを書きましたが、あれはまだ感覚のつかみかけ、あやふやなものでした。今になって、ようやくだいぶ確信できてきました。

気沈丹田フル充電の状態で、ゆっくりと、超スローモーションで、套路の最初の5動作を10分くらいかけてやってみると、これまたいろんな気づきがあります。体の細部に至るまでの、気とか勁とかも含めて、いろんな気づきです。

こういうのは言葉では説明できませんね。この状態になってもらわないと、感覚の共有はできないように思います。

私もようやく、先人達が漢文に残した感覚を、ちょこっと共感できるレベルまでよじ登れてきたかなあ~。

また一歩、達人に近づいた!

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