一人で套路の練習をしていると、どんどんゆっくりになっていきます。
以前は、丁寧にしようと思って、意図的にゆっくりやってましたが、このごろは、自動的にゆっくりになっていきます。
纏絲の働きが、いちばん効いていそうな動きを、探り探りやります。すると一番気持ちよく内勁が流れているなあという形があります。そこを外さないようにやっていると、どんどんスローになるのです。
1ミリ1度の違いで、感覚がだいぶん違ってきます。
こういうのは、先生の指導により、左脳では理解できても、実際に感覚として、右脳で理解できるまでには、相当に時間がかかると思います。
毎日毎日練習を続けて数年とか。
私が、いつのころから感じるようになってきたのか?
最近のような気もするし、けっこう前からわかってきていたような気もするし…。
套路を通して時計を見たら、えらい時間が経っていたなあとびっくりして、再認識したような次第です。
慢練のほんとうの意味は、こういうことなのでしょうね。
形が雑にならないように、丁寧に、というのは、初歩レベルの話で、内勁の流れを感じるためというのが、真の目的だったのでありましょう。
いや、私がようやくそのレベルに到達しただけの話で、さらにもっと深く広い世界があるのかもしれません。
そこが神明の世界なのか??
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