視覚と錯覚

目の見える人は、状況判断の大半を、視覚に頼っているのではないかと思います。

しかし、視覚だけに頼っていると、危険だなあと思うことは、よくあります。

スーパー等の駐車場で車を止めている時、隣の車が動くと、自分がバックしているような気になって、慌ててブレーキを踏んでみたり、電車の窓ガラスに写っている景色が反対に動いていたら、自分が乗っているのが、上りか下りか一瞬わからなくなったり。

加速度とか、体感しているはずなのに、視覚優先になって、判断を誤ります。

USJのアトラクションには、目の前のスクリーンを見ていると、真っ逆さまに落っこちたり、宙返りしたりする、絶叫マシンがあります。でも、目を閉じると、椅子ががたがたしているだけで、恐くもなんともありません。(せっかくのチケット代がもったいないのでおすすめはしませんけど。)

阪神淡路大震災の時、斜めになったビル群に囲まれていたら、平衡感覚がおかしくなったという話も聞きましたが、これも視覚が体感に影響を与えている例ですね。

錯覚を受けやすいのが視覚だと思います。

格闘技のフェイントは、視覚を逆手に取っています。本当は打つつもりがない、ちょっと振りかぶってみただけの拳に、体がビクッと、反応してしまいます。

そこでできた隙に、本命の攻撃を打ち込まれるとか。

これは、動く拳がちらっと見えてしまったからです。

皮膚感覚に頼る推手ですと、不意な動きは、隙だと思えますので、視覚に対するフェイントには惑わされないです。(皮膚感覚を錯覚させるフェイントもありますが。)

先生には、「後の音を聞きなさい」とよく指導されます。練習中に後から音が聞こえてくるわけではないのですが、そのつもりでいると、体がナナメに傾いたりするのを整えやすくなります。

聴覚も利用しているわけですね。

鬼滅の刃の竈門炭治郎みたいに、匂いで状況判断できるという人は稀でしょうが、視覚だけでなく、聴覚や、足の裏の重力センサー、肌感覚による空気の密度センサー、第6感による東西南北の磁場センサーなど、磨いていきたいものだと思っております。

こういう感覚を磨いていけば、雨が降るとか、地震が起こるという予知能力も身についていくのではないか、野生の能力を取り戻せるんじゃなかろうか、なんて思ってみたりもします。

 

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