中国武術の発勁(はっけい)とは

発勁(はっけい)って、あまり中国武術を知らない人には、なんだか神秘的な魔法のような技と思われていることがありますね。軽く触れているだけなのに、相手が吹っ飛ぶというような。

そういう私も、長年、拳法や太極拳をやってきているわりには、よくわかってませんでした。フンっ!とかいって、思い切り押し飛ばすんだろ?と思って、それっぽい練習をしたりしておりましたが、そうじゃなかったなと、理解が変わってきております。

私が子供の頃から学んできた、剣道、柔道、少林寺拳法といった日本の武道には発勁という概念はなかったです。少林寺拳法はもともと中国から伝わったはずですが、そんな練習はなかったし、昇段試験でも発勁なんて言葉はでてきませんでした。

少林寺拳法の投げ技は、たいてい投げる前に手首とか肘の関節を極めます。投げられる前から痛いです。そして、テコの原理で投げます。上手になったら、相手の勢いに乗じて、あまり力を使わずに投げるということもありますが、おおむね投げよう!という意識で、投げます。投げ技とはそういうものだと信じておりました。

太極拳は、わけのわからんうちに投げられてます。(というより、飛ばされるという言葉の方があっているかも。)

たまに推手をしていて、うまくかかった時は、飛ばしたった! という感覚じゃなくて、なんか、上手くタイミングが合って、相手が勝手に崩れた、という感覚になります。(私はまだ崩すくらいが精一杯で、人を飛ばすほどうまくできたことはないです。)

逆も取らず、袖を引っ張るわけでもなく、触れているだけで相手がすっとぶなんてのは、とても不思議に思えて理解不能、本や動画で見たところで、ますます怪しい。

しかし、最近になって、発勁を見たり受けたりする体験が多くなってきたので、ちょっと理解が深まってまいりました。やはり我が身で食らってみないとわかりません。映像などで見て、真似して、なんとなくできたつもりになっているより、受けて見たほうが感覚がつかめますね。

というわけで、発勁について、私の現時点での理解をメモしておきたいと思います。まだまだ理解が浅いかもしれませんけど、ネットでよく見かける、想像だけでモノを抜かしているトンデモ豆知識よりかはマシじゃなかろうかと思います。

発勁と寸勁

ブルース・リーが、ほぼ密着状態の至近距離からパンチを打ち込めば、相手はぶっ飛んでいくという映像がユーチューブでも見れます。寸勁とかワンインチパンチと言われるものですね。

これは、足腰の捻りで力をためて、それを回転させる力を拳に伝えるからパワフルなのだとか、足から手までの距離の中で押し出す力を加速させているのだとか、膝の力を抜いて、重力で落っこちていく力を前向きに作用させているのだとか、弟子が協力してすっ飛んでいっているのだ(インチキ説)という説明を、読んだか聞いたかしたことがありますが、それは全部、違うな、という気がします。

ワンインチパンチを腹に受けたことはないですが、おなじようなかんじで、もうちょっと安全に、ポンと飛ばされることは日頃の練習でも、よくあります。

発勁の打ち方(打たれ方)

最近私が体験したのは、構えて手を合わせた状態から、ポーンと後ろに飛ばされるような発勁です。(ブルース・リーみたいな猛烈なパンチではないです。)

うしろに2,3メートル後退りさせられたという程度で、天井まで飛んでったとか、ゲロ吐いて崩れ落ちたということはありませんが、その気になればすっ飛ばされるんじゃなかろうかと実感しております。

具体的には、こんなかんじです。

私の方は、弓歩で立ち、両方の手を体の前で合わせて、掌を相手に向けて、衝撃に耐える準備をします。太極拳の「ジー」によく似たポーズですね。

先生の方は、太極拳の手揮琵琶みたいな感じの構えで、前の方の手のひらが、私の手に軽く触れております。(立ち方は何でもいいんでしょうけど)

私が軽く先生を押します。すると、フッと、ちょっとだけ先生が動いて、私は、ポーン、おっとっと、と後ろに飛んで行くという感じになります。

これ、ぶん投げられるという感覚じゃなくて、発射された!というかんじになります。そして、おもしろいことに、けっこう気持ちいいです。

先生は、手をグイッと伸ばしたわけでもなく、腰の回転で思い切り突き出したわけでもなく、足を蹴り出して押し寄せてきたわけでもなく、ほとんど同じ構えのままです。

発勁の原理(推測)

お互いほとんど動いていないのに、一方が飛んでいくというような発勁は、人間同士でこそ効果を発揮するものではないかという気がしております。(木人とかペッパー君には効かないと思います)

人間が立って構えている時、体勢とか重心とか、関節の向きとか、筋肉の張り具合とか、動いていないように見えても、実は動いています。体の中では、微妙で複雑な歯車が常に動いており、止まっていることはありません。(歯車は何千個、何万個もあるイメージ)

手を合わせるなどして、体のどこかが触れると、二人がお互いに反応しあって、歯車の組み合わせが噛み合ったり外れたりします。

歯車を意図的に噛み合わせるというか、整えることができると、相手に作用を及ぼすことができます。

関節をがっちり固めたり、襟や袖を掴まなくても、手が軽く触れ合っているだけで、両者の歯車が繋がる感じがあります。触れているのは手の皮膚だけですが、歯車を通して、相手の足の裏までコントロールできる状態になります。

水に波が伝わるようにとか、風船が膨らんだりしぼんだりという表現も聞きますが、私は、この歯車がイメージしやすいです。

仕掛ける側が、自分の体内の歯車をグリグリっと動かすと、歯車の回転が骨や関節筋肉を伝わっていき、そして軽く触れている手を通して、相手の体内の歯車を動かしていきます。

その結果、かけられた方は、バランスを崩し、立っていることができなくなり、後ろに飛んでいったり、前のめりにひっくり返ったり、グルグルとコマのように回転したりします。

これが現時点で私が理解している発勁です。発勁は勁を発すると書きますけど、この歯車に伝わる力が勁かなあ、というイメージです。(体の動きより勁が先行すると聞くこともありますので、もっと複雑怪奇なものかもしれません。)

発勁を受けると、先生の小さい歯車で、自分の大きな歯車が回されるような、感覚があります。小さい歯車の動きはほどんど目に見えないけど、作用を受ける側は大きく転がされます。

発勁を打った方が、途中で動きを止めても、その勢い、歯車の回転、遠心力とか慣性とかは、相手の体の中でそのまま保たれて、ベーゴマのように飛んでいったりくるくる回ったりしています。そんな感じです。

推手と発勁

こういうかんじの発勁って、推手の延長にあると思えました。

推手では、二人が手を合わせて、大きく、ゆっくり動きながら、バランスをチェックしたり、太極拳の原理に沿った動きができているか、確認するわけですが、この動きをどんどん小さくしていけば、ほんの僅かな動きで、相手からくる力を、かわしたり制したり返したりできるようになります。

私はまだまだ、大きくわかりやすい動きしかできませんけど、ゆっくりであっても、勁を発していれば発勁ということです。ちなみにかわす動きを化勁、相手の力を受けるのを蓄勁というそうです。

動きが小さく小さくなって、ほとんど動いていないように見えて、相手がただ飛んでいくというようになれば、不思議な発勁になりますね。知らないと、インチキのようにも見えますが。

これが、手のひらを握ってパンチにすれば、ワンインチパンチになるんじゃないでしょうか?(板を割ったりするのは、まだ理解できません)

陳式太極拳の発勁と楊式太極拳の発勁

私が普段練習している陳式太極拳は、大きな発勁動作が套路に何度も出てきますが、このたび体験させてもらったのは、外見からは、ほとんど動きのないものでした。

しかし、柔らかく動いて激しい動きがほとんどないように見える楊式太極拳でも、動きのひとつひとつに発勁動作は含まれているのだというお話も聞きました。

発勁を理解しようとしたら、もしやするとこちらのほうがわかりやすいのではないだろうかとも、思えた次第です。

というのも、陳式の套路を練習している人には、激しい動きはしているものの、ただ、手を速く動かしているだけで、勁を発していないよなあ、と思える人も見かけるのです。かくいう私も、長年、発勁ってなんやろ?と思いながら、形だけ真似しておりました。

陳式太極拳の発勁動作の代表的な動きである掩手肱捶も、発勁がなければ、中途半端なただの軽いパンチです。

腰がブルブルっと揺れて、勁が発散している感じではあっても、手足につながっていないと、無駄な動きです。なんだか自動車のクラッチを切ったままエンジンを空ぶかししているようでもありますね。

そんなパンチは、当たってもなんにも効かないわけで、鍛えた腹筋に跳ね返されるとおもいます。胴を打ってダメージを与える目的なら、空手の突きのほうが効くだろうし、軽いパンチでも悶絶させるつもりなら、少林寺拳法の水月を突き上げる中段突きのほうが効果がありそうです。

しかし、発勁が伝われば、ゆっくりでも、腕が伸び切ってなくてなんだか中途半端に見えても、相手を軽く動かせるはず。相手の腹筋がバキバキに割れていようとも、関係ないです。

太極拳の技は、ピンポイントに打ち込んで、急所に効かせるというより、体全体をまるごとすっ飛ばすイメージがあります。(私の中では)

発勁の練習方法

筋肉むきむきの腕力とか、電光石火の早業はあまり関係なくなってきます。そういうトレーニングをしている人にすれば、発勁は、理解しがたい世界になります。根本的な思想が違うので、いくら拳立て伏せして筋トレしても、永遠にわかりません。一朝一夕にできることでもないし。

で、あれは、インチキ。弟子が先生に合わせている、という曲がった解釈になります。

太極拳を学んでいる人でも、そんなこと言う人あるんですけど、たぶん、他の武道の経験者で、脳みそが太極拳に切り替えられないのでしょう。太極拳は脳みその書き換えだと聞いたことがありますが、なかなか難しいことだと思います。私も長年、少林寺拳法脳から切り替えられませんでしたし。(今だに潜在意識では切り替えられていない気がします。なにしろ16歳から、20年以上やってましたから…)

というわけで、発勁の練習方法は、立木とかサンドバッグとか濡れタオルとか蝋燭の火とか、そんなもんを相手にパンチキックを繰り出しても、あんまり意味はないように思います。(散々やりましたけど。)

やはり、人間を相手にしないと身につかないですね。地味で根気がいりますが、推手の練習をたくさんするのが良いんじゃないでしょうか。

その前に、勁を鍛錬するため(自分の歯車をしっかり構築するため?)、站椿功、基本功の練習が必要だ、とも教わりました。これができてないと、自分の体内で歯車が外れてたり、ガチガチに錆びついて動かなかったりします。

これまた時間がかかります。根気が必要です。

不可思議な発勁

マンガの「拳児」では、拳児のおじいさんが、掌を木にあてたら、葉っぱがバラバラと落ちてきて、あれが発勁というようなシーンがあります。こういうのは、私はまだ理解できていないです。

私が実際に見たのは、道端の信号機の支柱に手を当てたら、高いところにある信号機がプルプル揺れていた、というものです。力を込めて押している風でもなく、勢いをつけているわけでもなく、柱自体はなんにも動いておりませんが、波が伝わって、一番弱いところが動いているのだという説明でした。

私が真似したら、何の変化もありませんでしたけど「まあ、そのうちできるようになりますよ」ってことでした。

また、同じく「拳児」で、香港の背の低い師匠が、実戦主義の暴れん坊を懲らしめるために、グローブをしたまま胴の上に手を当てて浸透勁を打ち込んだら、暴れん坊がゲロを吐いてひっくり返ったというシーンがありました。あれもなんとなく有り得そうだと思いますが、マンガでは、どういう理論なのか、納得できる解説はなかったです。

私はまだ、ゲロを吐かされたことはありません。(少林寺の水月突きで悶絶したことはある)

こういうのは、私の先程の歯車の理論では、ちょっと説明が付きません。もっと深い世界があるのでしょう。

そのうちできるようになったり、我が身に食らったりする機会がありましたら、また感想や推論を書いてみたいと思います。

発勁の練習方法(追記)

新たに発勁の練習方法を学んだので、追記しておきます。(練習していない人には理解できないと思うので、なかば自分メモです。)

ブルルン!と腰を震わせたり、勢いよく突き出したりしない発勁の練習です。決して筋肉に力を込めません。

練習では、陳式太極拳の青龍出水を例として教わりました。腰に構えた右腕の手首あたりを、先生に、上から手で抑えてもらいまして、それを押し返す練習です。

このとき、腕の力で無理やり拳を突き出そうとしても、返しきれません。バランスが崩れるのは自分の方です。

腕に力を入れないで、下半身を安定させて、丹田あたりから、勁が体の前後左右に広がるように、ふわーっと、腕を広げていくと、抵抗を感じずにうまく、先生を押し返せました。

これを一瞬でやると、よく見る陳式太極拳の発勁動作になるのだと思いますが、勢いよく、スピーディーに、と意識すると、腕に力が入ってしまって、本来の発勁の働きが出てきません。

掩手肱拳でも同じで、前のめりのパンチのつもりで打つのではなく、前後にふわっと広がるつもりで打ったほうが、いいかんじです。打ち終わったときの体勢が、崩れていなくて、前後左右のどこから押されても安定しているのが理想的。

正しい動きができるようになってから、一瞬の動きになるように練習するのがいいんじゃないかと思います。ただ、勢いよく突き出すのが発勁ではないです。

lou膝拗歩でも野馬分zongでも同様で、推手のときに、相手を押し切ろうとするように、自分の体勢が崩れていくのは、太極拳の戦い方じゃないですね。推手の時は、相手が崩れたチャンスを、ついつい押し込んでやろうという意識が働いてしまいますが、これでは上達しないです。

常に、太極拳の要諦を守っていないとダメですね。

太極拳の動きをきっちりできれば、套路の最初の「起勢」の手を挙げる動作でも、相手を飛ばせます。(私は飛ばせられませんが、よく飛ばされています)

突き詰めていきますと、套路の順番を覚えるとかより、まずは立ち方、足の運び方、体重移動の仕方など、基礎的な部分がきっちりできないと、太極拳は上達できないとおもいます。

私はこの二十数年、基本を疎かにして、形ばっかり追っておりましたので、また最初からやり直しみたいな感じになっておりまして、ずいぶん遠回りしてしまったなあと、嘆いている日々です。

2 Responses to “中国武術の発勁(はっけい)とは”

コメントを残す