私が地元に帰ってから最初に入ったのが、妻が通っていた楊式太極拳の教室です。
娘が同教室の長拳クラスに入り、練習後は近所にある妻の実家に立ち寄って、お義母様が飼っているオウムと遊ぶというサイクルを、長年続けておりましたが、長拳クラスがなくなり、娘も小学校を卒業して太極拳はやめるといい、私も、この教室に通う意味がなくなってきました。
再来月の太極拳イベントの団体表演メンバーに入ってるみたいなので、それまでは練習に参加しとこうかなーと思ったのですが、楊式太極拳、このごろけっこう面白くなってきたのです。
それは研究対象としてです。
こちらの教室で教えているのは、ハッキリいって、太極拳の残骸みたいなゾンビの体操というかんじなのですが、その不完全な痕跡から、元の姿を復元していく試行錯誤が面白い。
他の教室のように、表演や昇段試験の規定に合わせて細かく指導されるような教室だと、自分勝手はできないでしょうが、こちらではそんな指導もないので、やりたい放題です。
今は、陳氏の新架式で体感している内功を、楊式の動作に当てはめる実験をしています。
楊式太極拳には、違う名前なのに同じ動作がけっこうありますね。蹬脚と十字脚とか。この教室だけの話かもしれませんけど、いくつかYouTubeでみても、同じような感じでした。
しかし、陳式では別々の動作です。蹬脚は蹬脚で、十字脚はいかにも、十字脚!ってかんじです。
もともとは違っていたのを、教えるのも習うのも楽なように、楊露禅、もしくはその後継者が、一緒くたにしたんじゃないか? と推測してしまうのです。
そこに、陳式で学んだ内功の働きを考慮して、動作に当てはめてみると、変容過渡期の動作が発掘できるように思えるのですね。
まったく私の想像ですが、陳家溝を離れ、皇室の武術教師となった楊露禅が、陳氏の武術を改変した手始めは、震脚や発力動作の省略ではないかと思います。
皇族の子弟たちに教えていたら、宮内庁の役人から「殿中でござる。王宮内で騒々しくしないでいただきたい」等と、クレームがついて、しょうがないので「殿下、ここは本来ドッカンドッカンと景気よくやるものなのですが、お城の中では、そ~ろ~っとやりましょう」とかいって、震脚は無し、袖の長い服で大きく発力するとバッサバッサうるさいので、これも小さくユックリになったと。
震脚や発力はなくても武術的には成立しますので、ま、いっか、となったのでしょう。
安田先生は入院中も欠かさず練習しておられたそうですが、まさか病室のベッドとカーテンの隙間で震脚はされなかったでしょう。
ドカンと一発やれば、他の入院患者さんたちがベッドから転げ落ち、病院中に警報が鳴り渡って、看護師さんたちが上や下やの大騒ぎ、阿鼻叫喚のパニック間違いなしです。
病院ではお静かに、宮廷内でもお静かに、私の自治会教室も雨の日は集会室を借りるので、震脚はなしです。
次に、似たような動作を、同じにまとめてしまったのではないでしょうか。皇族方が覚えやすいように、似た動作はまとめられて、同じことの繰り返しばっかりになったのだと思います。
だいぶ動作が減ったけど、それでも武術としては、まだ成立しています。基本動作がいくつかだけ、という拳術も存在することですし。
しかし、それでも内功は大切にしたんじゃないかなあと思うのです。
楊露禅の時代に、見かけの美しさでポイントを稼ぐなんて考え方はなかったと思いますから、静かにしようと単純化しようと、教えていたのは、純粋な武術だったと思うのです。
内功すなわち纏絲勁をなくしてしまったら、太極拳から武術の要素がなくなります。
しかしそれも、弟子から弟子にと伝わっていくうちに劣化していき、一般向けの教室ができたりして世間に広がり、だんだん形骸化して、見かけだけが求められるようになり、「内功? なんやそれ、奥さんに感謝しなさいって話??」というふうに変貌してきたのではないでしょうか。
とどめに共産革命があって、伝統的文化は一掃され、規定套路が制定されて、今に至る。
私は本当の楊式太極拳は知りません。陳式なら善し悪しがわかりますが、大会で楊式太極拳を見ても何も感じないし、あらためて現存する名人から習おうとも思わないです。
それより、私の今までの経験や、現在の立場、功夫を活かして、楊露禅の足跡をなぞってみるという試みの方が価値があるような気がします。そんなんやってる人は、そういないだろうし。
日頃の練習は、いままでどおり陳氏の太極拳を益々錬っていくばかりですが、楊式教室ではそんな感じでやっていきことにします。
来年の表演大会は、楊式の部にエントリーするのも面白いかもしれないなあと思ったり。
陳式の部は、このまえ金メダルをいただいたので、もういいやって気がしております。
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