套路の改変についての考察

前回、殿中の楊露禅が、套路をサイレントバージョンに改変した可能性について言及いたしましたが、そんな、套路を勝手に変えていいものなんか!? という疑問が湧きます。

しかし、私が聞いたり読んだりしてきたことを繋ぎ合わせ、憶測を加えてみると、楊露禅にとって套路を変えることには、さほど抵抗はなかったのではないかという気もします。

なぜならば!

楊露禅の師匠は、かの陳長興です。陳氏太極拳の中興の祖みたいな偉人です。

私が聞き及んでいるところ、陳氏太極拳の套路、いまでは第一路、第二路と呼ばれ、昔は長拳とか炮捶と呼ばれていたらしい、二つの套路を編纂したのが陳長興です。

それまでは、短い套路が6つくらいあったのそうですが、それらを分類し、つなげ合わせ、やんわりした動作がメインの長い套路と、少林拳っぽい激しい動作を短くまとめた套路の二つにまとめられたらしいですね。

さて、楊露禅は陳家溝に30年もいたそうですから、陳長興老師が套路を編纂する過程を見ていたかもしれません。

いやいやもしかしたら陳長興が、愛弟子である楊露禅にも意見を求めてヒアリングした可能性もあるでしょう。

「おい、露禅よ。ここんとこと、ここんとこを繋いだら、効率的に練習できると思うんだが、どう思う?」

「師匠、いいっすねー! でも、その流れは前のところと被りますから、間に、これを入れたら一粒で二度おいしいっすよ!」

「おお、ええやんけ! さすがお前は天才やのう~。陳家の家柄でないのが、まったく惜しいわい」

「師匠、それはいいっこなしですよ。おいら、いずれ村を出ることになるんでしょうけど、師匠の恩は一生忘れず、生涯、修行に励んで、陳家の武術を陰ながら盛り上げたいっす!」

「好! 好!」(涙)

というような師弟愛溢れる共同作業があったとしても、不思議ではないかと。

さらに同じころ、陳家溝の丘の上では新架式が編み出され、どうも楊露禅はそちらも学んだフシがあるようです。

「有本先生、有恒先生、なんだか新しい套路を編み出されたそうですね。おいらにもちょっと教えてくださいよ」

「あ、お前、長興老師のとこの楊露禅やないけ。陳一族は、それぞれの家に伝わる秘伝を、他の家の者には、みだりに教えへんのや。」

「いいじゃないですかー。おいら陳家の者じゃありませんし、個人的に趣味として楽しみたいだけっす。家伝に取り込もうなんて考えてませんし、商業利用もしないっす。」

「そうか。俺らも他のもんに試したい気持ちもあるし、まあええか。そやけど、長興老師には内緒やで」

「わかってま! 大恩ある長興老師ですけど、それはそれ、これはこれですわ」

かくして楊露禅は、これまで学んできた老架式から大きく変わった新架の動きを目の当たりにして、套路って進化するんだ、生き物なんだ! という認識を持ったのではないかと思うのです。

ですので、宮廷という新天地に身を置いたとき、場や人に合った練習方法に変えるのは、ごく自然、当然の行いだったのではないかなあ~という気もします。

楊露禅の教える対象が、皇族でなく軍隊だったら、また違う変貌を遂げていたかもしれませんね。

ところで、現代の表演競技では、規定套路でも自選套路でも、お、お、おお?と仰け反るような魔改造の套路を時々見かけますが、それはちょっと違うんじゃないかなあ~と、ちょっと批判しときます。そんなのを見たら、楊露禅が草葉の陰で悲しみの涙を流すことでありましょう。

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