太極拳教室を4つかけもち

武道・スポーツ

太極拳の教室には、妻子供に付き合って通うようになったのですけど、今や私が一番熱心です。

妻は特発性血小板減少性紫斑病で入院してからは、全然練習にいかなくなりました。もうすっかり血小板の数値も戻って、運動に支障はないはずなんですけど、やりません。

子供を連れて行くときも、横で見ているだけです。

太極拳が健康に悪いはずもなかろうし、一回5分ほどの24式くらい毎日やってみては? といっても、そんな時間はないそうです。(ヒマそうにテレビは見てるけど。)

 

あんまりしつこくいうのも何なので、あまりいいませんが、健康にはもっと気遣ってほしいと思っております。

そういう私は、家の中でも暇があれば練習したり、娘と戦ったりしております。

目次

非初心者向き太極拳教室

さて、私は、最初に妻子が通っていた24式及び楊式の教室だけではものたりなくなりまして、陳式太極拳の教室と、推手の教室を2つ、計4ヶ所、週に4回練習に出かけるようになりました。

なにかと予定もあり、週4回フル参加できることは少ないですが、47歳の趣味としては、なかなかのものでありましょう。

 

それぞれの教室には、特色がありますね。

まるきり初心者のおじいちゃんおばあちゃんの健康増進のためのカルチャーセンター的教室もあれば、ゴリゴリの格闘好き教室まで。

套路の練習中心の教室では、推手はホンの触りくらいしかやりませんし、推手の教室では推手ばっかりです。

ほとんどのひとは、どっちか方っぽに偏っているみたいですけど、套路と推手の両方やってこその太極拳だよなあと、ひしひしと感じております。

 

推手の教室の2つも、かなり特色が違っております。

楊式の推手教室では、足はあまり動かさず、二人が合わせた手の微妙な力加減、勁力のやりとりの修得を目指している段階です。

傍から見ていると、あんまり動いてないし、なんだあれ? と思われるかもしれませんが、お互いの体の中で意識がグルグルしてますので、汗だくになります。

 

もう一つの推手教室は、何式とは言ってないんですけど、わりと陳式っぽい感じです。歩きまわりつつ、手をぐるぐる回しております。

套路をぜんぜん知らない初心者も、いきなり歩いたり、しゃがみこんだりしてます。

私は20数年前に陳式推手をちょこっと習ったことはありましたが、歩きまわる推手はかなりの上級者しかやっておりませんでしたので、こちらの教室での練習方針には、ちょっとびっくりしてます。

 

始めっから歩く推手をやると、足がもつれたり、すっ転んだりしますけど、やっているうちに、形にはなってきますね。力任せの無理な動きだと、やっぱり上手な人にすっ転ばされますので、だんだんと太極拳っぽい体の使い方になってくるのでしょう。たぶん。

まったくの初心者には、ちょっと無理難題じゃないかと思うのですが、こちらの教室に来るのは、合気道とか少林寺拳法など他武道の経験者が多いようなので、基本的なところをショートカットしても体が対応できるのかもしれません。

太極拳教室としては、かなり特殊だな、と思います。

 

楊式の推手の先生からは、せめて半年はこちらに集中して、ほかに首を突っ込まないようにと言われたのですが、もう行ってしまってるし、こっそり続ける所存です。

私は案外、その場その場で頭を切り分けて動けますんで、たぶん、大丈夫でしょう。

武道・武術で成長するということ

武道、武術というものは奥が深くて、あまり焦って、あちこちカジッても、はやく上達するわけでもないです。どちらかというと、寄り道回り道になって、上達が遅れます。

特に血気盛んな若いときは、新しい技とか、知らない格闘技に興味を持ったり、腕試しをしたくなったりしますけど、一つのことにじっくり取り組む姿勢は大切だと思います。

基本が大事。ベストキッドの映画でもダニエルくんが、空手の師匠に、ひたすら車のワックスがけをやらされますね。

そして、多彩な技術の習得とか、ムキムキの体になることに焦るより、武術の修業を通じて、忍耐を覚えたり、自信や度胸をつけたり、心身を鍛えて、人の気持ちを察したり、優しくできたり、人間的に成長し、社会のリーダーになっていくということが大事なような気もします。若いうちは。

 

しかし、ある程度上達して、年老いて、もはや向上心も研究心もなくなり、日々、黙々とおんなじことばかりの繰り返しの現状維持の人生も、いかがなものかと思います。

健康維持のためと割り切っているお年寄りなら、それでもいいかもしれませんけど、武道、武術って、もっと面白いものです。それ自体、楽しめるものですね。

そして、学んでも学んでも、極めきれない奥深さがあります。上達に上限がないです。

ぼんやり日々おんなじことの繰り返しでは、死ぬまでに極めることができないですね。せめて、先人の到達点の足元くらいは見たいじゃないですかー。

 

そして、学んだからには、後進に伝授していかねば、歴史が続きませんね。末端の学習者だとしても、長い歴史を紡ぐ糸の一本になっているわけですから、ちょっとは義務感も感じるのが良いと思います。

せめて、人に教えるレベルまでは到達したいものです。

 

というわけで、中年以降の学習者は、多少は焦って、自分でも創意工夫して、早く上を目指す心構えを持つのが良いのじゃないかと、ふと思ったりもしたのでありました。

コメント