武術は人と仲良くなる術

推手の練習をご一緒しているメンバーに、私より若手の男子がおられます。

おばさま達を相手にするときは、軽く優しく勁のやり取りを楽しめるように心がけておりますが、彼が相手の時は激しめに飛ばしたり投げたりもします。

痛くない程度ですが、顔や金的に当てて、隙あり!の警告もします。

彼は、太極拳のほかに武道経験がなかったそうですが、日本の将来を担う日本男児、武術として太極拳を習得してもらいたいと私は思っています。有事の際には戦えませんとね。

その彼は、太極拳教室で簡化24式の先生をされています。

彼が生徒さんに向けて書いているメッセージ(ブログ)に「太極拳は武術。」と書いていました。

おおっ、武術だと認識されてる!

さらに、「武術は、人と人とが仲良くなる術。コミュニケーション能力が高められる技術」と書いてありました。

否定はしないのですけど、理論がボンヤリしていて、深読みしないと誤解されそうだと思いました。

私なりに補足したいと思います。

まず、コミュニケーション能力が高められるのはその通りだと思いますが、これは武術に限りませんね。一緒に同じスポーツを楽しんでいればコミュニケーション能力は高まります。団体競技なら、さらに良いでしょう。

「コミュニケーション能力」の定義を「我彼の性格や力量差を瞬時に分析して、適切な対応をとる能力」とするならば、武術は優れていると思いますが、ことさら力説する部分でもないかなあ。

 「仲良くなる術」というのが肝ですね。

「仲良く」の定義は「友達とべったり馴れ合い」ではなく、初めて対峙する人とも、争わず恙無く平穏無事につきあうということでしょう。

友達やお仲間でも、いじめとか搾取の関係では「仲良し」とは言えません。

武術的に「仲良く」というのは、「対等につきあう」ってことではなかろうか。

親子や師弟のような情愛のある関係ならば、対等でなくても良い仲でおれます。

しかし、見ず知らずの他人同士が仲良くするには、まっとうで徳のある人間であることは当たり前として、力加減が対等である必要があるとおもうのです。

力の有る者と無い者では、交渉事は一方的になります。損と得が一方通行です。どっちかがわがままで、もう一方は忖度では、穏便に見えて仲良しではありません。

対等であるために必要なのが力です。抑止力です。威厳です。気迫です。実力の裏付けです。つまり武術です。

ニコニコ穏やかで優しそうな眼差しの奥に、威風堂々の風格があってこそ、本当に仲良くできるってもんです。

表演が上手にできれば、みんな仲良し、みたいな話ではなくて、無理が通って道理が引っ込むことはありませんよ、という覚悟を備えるために役立つのが、武術だという意味だと、私は思うのであります。

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