新架式始めました

陳式太極拳の新架式を習い始めました。

といっても、地元の教室で、もう4,5年ほど上海由来の新架式を習ってきたのですけど、このたびあらためて、陳家溝の老架式からの新架式です。

さて、老架とか新架とかいう名称由来については色々な説があるようなので、ここでは検証しないことにしまして、陳家溝におけるいわゆる老架と新架の違いとは何か、習ったこと、感じた事をメモしておこうと思います。

何が違うといって、新架式では、動作のつなぎ目とか動作が起こるときに、内側から発生する小さいうねりみたいな動きが見えるのですね。これを混元というそうですが、老架式では、それが外側に現れず、内側に隠れたままなので、見た目シンプルということなのです。

新架式は、なんだかフワッ、フワッとしてますが、その正体がこれ。

老架式より、やたら動作が多いように見えますが、実はおんなじことをやっているのだ、ってことでした。

なるほど、内勁を外形に表すのが新架式なのだと理解いたしました。ということは、内勁がある人が、老架式の内勁表現を大げさにやれば、新架式と変わらなくなるんじゃなかろうか。

と思って、帰ってから家で復習していて、確かにそうだ! と確信しました。

もちろん、動作の手順とか方向とかの違いはあるので、そこは覚えないといけませんが、新架っぽさ、というのは体得しました。なるほど、こういうことだったのかー!

この感覚がわかると、老架式もなんだか変わりますね。外にあふれそうな内勁を、おさえて套路をしているという感じになります。

そもそも武術は、手の内を晒すと不利ですから、隠すのが道理。

隠している老架式はカモフラージュされた本来の武術で、隠していない新架式は、敵に見せてはいけない練習用、みたいなかんじですね。

地元の教室では、その辺の認識がないまま、先生のマネをして、フワフワフワフワやっておりました。

内勁なくして、手先をふわふわ動かしたところで、何の意味もありません。ところどころ体が浮くのも、内勁の外への発動です。地元の教室の皆さんは、ぴょこんとわざわざジャンプしてますが、あれもやっぱり変だった。

地元の皆さんは、老架式を知りませんが、習う順番としては、やはり老架式で骨の構造を変化させて正しく動くというところから始めたほうがいいように思います。

正しく動けば、自然に纏絲の勁が発生してきますから、その時点で新架式を学んで、より内勁を大きく育て、そして再び勁を見えなくしていって、シンプルに戻って、静かに立っているだけのおじいちゃん、達人! っていう流れになるんじゃないかと思います。

新架式を習い始めた私は、内勁を大きく育てる段階に来たってことかなあと思います。

また一歩、達人に近づいた!

おじいちゃんになるころには、だいぶ達人の域に入れているんじゃなかろうかと、期待大です。

 

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