毎日練習しているのは、安田先生より学んでいる老架式ですが、安田先生から学びだす前から、家の近所の教室で、新架式を習っておりまして、今もちょいちょい通っております。陳家溝のではなく上海の系統です。
今日は、嬾扎衣の練習をしました。
老架式の練習しているように、どかっと、右足にすっかり体重を載せていると、そうではない、重心はもう少し真ん中寄り、体重は右足と左足は、6:4くらいになるように、と教わりました。
新架式では、虚実の分け方を、10:0じゃなくて、7:3とか6:4くらいにするのですね。
以前から聞いてはおりましたが、理由は知らなくて、まあ、そんなもんなのだというくらいの認識でしたが、本日、ふと閃きました。
もしかして、6:4ではなくて、10:-4なのではないか?
つまりですね、右足に6割、左足に4割に体重を分配して、ドスンと立っているのではなくて、右足には全体重が載っかっていこうとするところ、左足が、地面に吸い付いて、引っ張ってるんじゃなかろうか?
虚はゼロじゃなくて、マイナスでは?
(虚数はマイナスというわけではないらしいですが。数学はよくわかりません)
そう考えると、しっくりくるのです。10:0で立っているときよりも、さらに纏絲で引っ張っている感じが強くなって、虚の方の左足は、踵が浮いて、つま先側が吸い付いている感じになります。
見た目は、片方に乗り切っていない中途半端な感じがしますが、プラスとマイナスでバランスが取れているような。
定式で、どっしり落ち着いてはおられず、すぐ次の動作に移りたくなります。
老架式と新架式の違いって、もしかしてこういうところじゃないのかな? と思った次第ですが、今日、突然思いついただけですので、本当のところ、どうなのかよくわかりません。
今後もじっくり検証してまいりたいと思います。
追記:
一晩寝て、さらに考えが進みました。
楊式太極拳や、簡化24式太極拳も、新架式や小架式の延長線上にあるという説を聞いたことがあります。
ということは、楊式太極拳の歩法、さらには24式も、弓歩の虚実って、かくあるべきではないのかな?
楊式や24式を本格的に習ったことはなくて、公園とかで多くの御老人たちがやっているのを傍目で見ていても、なんかどよんとしているなあ、くらいにしか思っていないのですが、この意識があれば、シャープな感じになるのかも?
さらに検証したいと思います。
追記:
三晩寝て、さらにさらに考えが進みました。
老架式だからといって、片足にどっかり体重が載って、動かざること山の如し、というわけでもないよなあという気がしてきました。
片足に体重を載せたら、もう片っぽが寄ってくるという動作は多いです。
白鵞亮翅、六風四閉、小擒打、金剛搗碓など。
虚の足が寄ってくる動作と、寄ってこなくて足幅を広くとったままの動作で、そんなに感覚は違わないです。たとえば抱頭推山は弓歩のまま、小擒打は後ろ足を寄せますが、体重移動の感覚は同じようなものですね。
掩手肱拳は、後ろ足を踏ん張った逆突きのような形をしていますが、後ろ足は踏ん張るというより、寄ってきたくなるのを地面に吸い付けて、流れないようにしているような気がします。
10:0じゃなくて、12:-2とか、15:-5とか、そんなかんじではなかろうか??
そんなふうにイメージすると、虚の方の足は、やはり踵が浮き上がろうとしているように思えます。そして、つま先側が、地面に吸い付いているといいますか。
推手をしていても、そんな気がしてきました。そんな気がしてくると、ますます推手で負けなくなってきました。
どんどん深いところにハマっていっているような気がします。
仮説、実験、検証を続けているうちに、きっと答えがピカッと見えてくるように思います。
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