お盆ですから、公園太極拳もさすがに少人数でした。最近推手道場に入ってこられたオバサマが来られていたので、じっくり二人で推手の練習しました。
オバサマは、体をねじったり、肘を動かしすぎる癖があり、そこんところを気を付けてもらえるよう、あの手この手でレクチャーして、だいぶん良くなりました。
このところ、ずいぶんいろんな人に教えたりアドバイスをする立場になってきましたが、太極拳歴の長い人ほど、形がなっちょらん、ということに気づきました。
勁だの丹田だの言う前に、自然な骨組みの形で立てていないし、歩けていないのです。
套路の順番は覚えているとか、段も持っているとか、剣もやっているという人も、正確な形ができていない!と、最近、見る目ができてきた私は思ってしまいます。
二十四式だ楊式だ陳式だとかいう以前の話です。
形が正確であれば、勁は自然発生するものですから、理屈をこねくり回すより、次々と新しい套路を覚えるより、正確な形で動く訓練を積み重ねる方が上達が早いです。
套路も覚えて、段も取った、形はできてる! という人も、本当の本当に太極拳の要諦に沿って細かいところまで行き届いて整っているか、じーっくりチェックすれば、ここもダメ、ここはアヤフヤ、ここはテキトーにゴマかしている、ここはよくわからない、というところがいっぱいあると思うのです。
全部、超スローな速度で、詰めて、潰して、修正矯正して、完璧な形を目指すべし、と思います。
表演のポイントを基準にするのではなく、古より語られてきた太極拳の要諦に合わせるのが良いでしょう。
そうすると、纏絲の感覚が沸き起こってくるはずです。纏絲の感覚、勁の感覚は、なにも太極拳の専売特許ではなく、他のスポーツや踊りなど、人間の肉体運動に共通するものだと私は思っています。
近代的なスポーツ力学の観点で考えるようになって、わからなくなっているのかもしれませんが、むかしむかしから伝わっているものを、正確になぞれば、正しい勁が出てくるはず!
昔の人はそうやって鍛錬してきたのですから。
一万回繰り返しても勁が湧き出てこないようなら、その動作は間違っているといえましょう。先生に正してもらうのが良いです。
まあ、これは私自身が紆余曲折、寄り道、回り道を繰り返してきた体験から確信できたことです。まずは形をしっかりと。
ただ、正確な形を指導できる先生が少ないというのが、難点かも…。
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