発想の転換

ちょっと前に、「発想の転換を続けることが大切です」と安田先生に言われたのです。

その時は、なにげに聞き流してしまったのですが、ふと「なるほど!」と閃きました。早朝の套路練習をしている時に。

発想の転換、脳味噌の書き換えは、これまでになんども先生からの教えで経験してきました。

私はこれを「パラダイムシフト」と呼んでおります。自分が教えるときにも、生徒さんがパラダイムシフトを起こすように意図することが多いです。

私自身がパラダイムシフトを起こす頻度は、だいぶん少なくなってきましたが、それでも先生からの学びはいつも新鮮です。

しかし、先生の言葉の意図は、先生からレクチャーを受けていない時間、ひとりの時でも発想の転換を続けなさいよ、太極拳は学びつくせることはないのだから、研究研鑽は生涯続くのだよ、という意味だと、急に悟りました。

早朝って、閃くことが多いですね。目覚まし時計と関係なしに、目が覚めたタイミングで站樁功や套路を始めると、なんか天から降ってきます。

二度寝してしまうとダメです。

気づいたらすぐやる、朝起きは繁栄の第一歩です。(これは倫理法人会での学び)

発想の転換のチャンスは、たくさんあります。

一人での練習、みんなで推手をしている時、他流派の人々と遊んでいる時、生徒に教えている時、子供と遊んでいる時、風呂に入っている時、ウンコひり出している時、妻とイチャついている時などでも、「ハッ!」と気づくことはあります。(酒を飲んでいる時は何も閃きません。閃いても記憶できません)

閃きはすぐにメモするなり、実験するなりして、記憶に残るようにして、あとでブログやテキストに書いて、濃密にしていきます。その繰り返しで、どんどん達人に近づいているように思います。

そういえば、娘が「なぎなた買って~」と言ってきました。学校の授業であるそうで。太極拳には興味を示さない娘ですが、薙刀は面白いようです。薙刀、娘の相手をすれば、きっとまた発想の転換が起こるに違いない。

太極拳は、昔からずっと不変のものだったわけではなく、先人の発想の転換の積み重ねで発展してきたものですね。

少林武術にイスラム武術がミックスし、アラビア剣術やら柳生陰流、宮本武蔵二天一流が取り入れられ、老架式新架式小架式なんちゃら式ほにゃらら式と、つぎつぎと新発想の套路が生まれてきたわけです。

そう思うと、達人になることがゴールでもないなあ。

達人の先にまだ無限の広がりがあるように思えてきました。

科学の進歩みたいなもので、一人の人間の寿命ではとうてい極めることができない道です。

カリキュラムこなしたら修了、ってことではなく、そこからですね。これもまた発想の転換。

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