センスより情熱と使命感

沖縄民謡・三線を始めて3年ほどになります。

始めたころは熱心にやっておりましたが、この頃、熱意も冷めてきました。

部屋の端に立て掛けて、頻繁に触って弾いて歌っていたのが、お稽古日のあと、次のお稽古日まで、ケースから出してなかった、なんてこともあります。

なんでかなあ? と考察するに、あんまり練習しなくても、そこそこできてしまうからじゃないかと思いました。今通っている三線教室の生徒の中では、たぶん一番か二番か少なくとも三番目、もしかしたら四番目、どっちにしても五番目には上手です。

もともと、音楽のセンスは、まあまああったみたいです。小学生の頃にピアノを習って、アニメの主題歌なんかを出鱈目に弾けてましたし(娘とおんなじだ)、ギターもジャズ、フラメンコ、クラシックと随分長く弾いてきました。

ちんだみ(チューニング)に手こずっている生徒さん方を見ていると、自分には音楽センスがあるんやなあと思えます。ピアノの調律師みたいに、88弦、耳だけで合わせるほどの自信はないですけど。

三線を始めたきっかけは、教室の立ち上げの時、私もスタッフとして組み込まれたからです。それまで沖縄民謡には興味ありませんでした。

でも、始めてみると面白いし、コンクールもあったので熱心にやってました。

そのうちレパートリーはいくつもできて、発表会やボランティアで弾いて歌うくらいできるようになったし、ま、こんなもんでいいか、と思うようになってます。

歌詞の意味とか、沖縄の歴史とか、歌の心情とか、掘り下げていけば、なんぼでも深くて広い世界があるということはわかっておりますが、そこまで踏み込もうという意欲はないのです。

今の、そこそこレベルで満足です。民謡を普及し活性化するのは私の役目じゃないし。そういうのは、沖縄に血縁のある人とか、熱烈な愛好家に任せます。

そういえば、習い始めの時に先生にも注意されていました。「あんたみたいに、すんなり上手になる人は、あんがい長続きしないんだよ」と。

「いやあ、末永く頑張りまっせ!」と思ってましたが、そうなりましたねえ。

太極拳はもう30年以上になりますが、こちらは情熱がどんどん高く深くなるばかり。

陳家溝に血縁関係はないし、外国の文化である太極拳には、沖縄民謡よりなおさら私の役割はないような気もしますが、なぜここまで熱心になれるのか?

考察するに、私にはスポーツや武術のセンスがなかったからじゃないかと思えます。

子どものころからドンくさくて、かけっこもボール遊びも苦手でした。中学の剣道部に入りましたが、叩かれてばっかりで、勝ったことがありません。

苦手意識しかなかったのですけど、なんとか這いずりあがりたいと思って、家に帰ってからも一生懸命練習しておりました。木刀でタイヤをぶっ叩いたりして。

顧問の先生は見てくれていたみたいで、卒業の時、一番練習をしていたのはお前や、と皆の前で褒めてくれました。

それから少林寺拳法、太極拳とやってきましたが、最初は、どんくさい、物覚え悪い、へなちょこって感じでありました。乱捕りでも負けてばかりだったし。

今思えば、子供のころからのスポーツ苦手意識は、視力の低さにも原因があったかもしれないと思うのですけど、それはさておき、本当にセンスなかったです。

それでも、情熱はありました。強火でボワッと炒めるような情熱じゃなくて、弱火でトロトロ、じっくり煮込むような情熱でした。

センスなしでも、30年もやっていれば、レベルも上がってくるもんです。苦手が得意になるという感覚を知ると、この先まだまだ上がれるという確信みたいな気持ちも沸いてきますね。

それにこの頃はなんだか使命感みたいな気持ちも出てきました。私に教えて欲しいという人も増えてきたし、テキストなんかも書いていると、この貴重な文化を後世に残さなアカン! みたいな気持ちが出てきたのです。

だから、先生に習いに行くときは、自分が上手になりたいという気持ちに交じって、この技術を受け継いで、また誰かに伝えられるようになっておこう、という気持ちもあります。

センスより、情熱や使命感みたいなものが、上達には必要だなと、つくづく思える今日この頃なのです。

 

 

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