生殺与奪の権

生殺与奪の権を他人に握らせるな! と言ったのは鬼殺隊の冨岡義勇さんですが、我が身を振り返るに、生殺与奪の権は他人にすっかり奪われているなあと思う今日この頃。

パソコンを触っていて、なんか案内が出てきて、ハイハイとやってたらOneNoteとかいうのにパソコンの中身が同期されてしまったみたいです。

それまではパソコン内のファイルやフォルダーは意識的に外付ハードディスクやDropboxにバックアップしておりました。

自動化されて手間要らずになりましたが、これで私の情報と命運はマイクロソフトに握られてしまいました。

マイクロソフトが中国共産党みたいな悪の組織に加担していたとしたら、やばいですね。

Google様にもだいぶ握られているなあ。

これらに悪意を持たれたら、いいようにやられますね。生殺与奪の権が握られたことになります。自分のパソコンでも油断ならん。

先日、自宅の設備を何でもかんでも最新のオール電化、電子の館に改造した海外帰りのお金持ちのおばあちゃんの話を聞きました。

結果、リモコンだらけになってワケわかんようになり、電子錠の暗証番号パネルを信頼できず南京錠を付け足して鍵だらけになり、IHコンロが上手く使えず、イワタニのカセットコンロを載せて湯を沸かすという漫才みたいな話でした。

ずいぶん笑わせてもらいましたが、このおばあちゃん、電子機器に生殺与奪の権を与えなかったというところは、実はえらいんじゃなかろうか。

なんでもかんでも関西電力から供給される電気頼みでは災害時に生きていけなくなります。

いざとなったら、IHより火鉢と木炭です。

電気に限らず、稼ぎの全てが会社の給与とか、情報源はネットだけとか、食料は出来合いのもんばかりとか、頼りないこっちや。

生殺与奪の権を、自然に握られているのは全生命の宿命であります。

群れとして運命共同体に命運を任せるのも、一人で生きていけない人類としては致し方なしですが、共同体の一員として、役目と責任を持っていれば、生殺与奪の権の一部は自分が握っていることになります。

いつの間にか得体の知れないシステムに組み込まれて、気づくこともなくがんじがらめに縛られて、役割や責任等のめんどくささがなくなるかわりに、依存から抜けられないとなれば、まさに生殺与奪の権を他人に握られているということですね。

社長だ家長だといったところで、そんなのでは自立した人間だと言えるものかどうか…

第三次世界大戦が起こって世界中の社会システムが崩壊したら、自分が自立した人間じゃなかったことに気づくかもしれません。

さてそのとき、自立して強くなろうと思うのか、再び生殺与奪の権を誰かに握ってもらいたくなるのか…。

とりあえず、日記は紙の日記帳に書いて、写真はプリントして、車はマニュアル、アナログに生きていきたいなと思います。

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