ピースおおさか 大阪大空襲の記録

大阪城のあたりで、夕方まで時間を潰さねばならぬという事態が発生しまして、しょうがないので、大阪城公園をプラプラ散歩しておりました。

安田先生と奇跡の再開を果たした教育塔の近くに、「ピースおおさか」という施設がありました。

入ったことがなかったので、入ってみました。大人一人200円。

ピースおおさかは、大阪大空襲の記録館といったかんじでした。

気軽に入ったのですけど、3時間以上おりました。ものすごく内容が充実しておりまして、けっこう衝撃でした。不覚にも、涙が出ました。

大阪に大空襲があったとは知っていましたが、これほどだったとは。

介護職をしていた頃、お年寄りから堺空襲の話は聞いていました。土居川が死体で溢れたとか、焼夷弾が降ってきて、空気がめちゃ熱かったとか。

話し下手のオバア、オジイの話だけだったので、いまいちピンときてなかったのですけど、ピースおおさかには、当時、子供だった人達の描いた、絵があったのです。

真っ赤に燃えながら土居川に飛び込んでいる人々の絵とか、B29から焼夷弾が雨あられと降り注ぐ絵とか。

土居川は、桜の季節に遊覧船巡りをしたことがあります。あの川、人間の死体で溢れてたんですね。

グラマンの銃撃で、授乳中の母親がふっとばされたとか、赤ちゃんを背負って逃げている母親に、赤ちゃんの頭がなくなっていることを伝えられなかったとか、幼児と乳児を抱えた母親が三人揃って黒焦げになっていて、神々しかったとか。

私も、やっぱり人の親なんだなー、そんなとこばかり目が行ってしまいます。

原爆投下のテストは、大阪でされていたという話は、初めて知りました。中身は核燃料じゃなかったけど、大きさ形が同じ爆弾が投下されていたのですね。

その爆弾での死者は7名。広島での原爆の死者数は14万人と言われているそうですから、核兵器がどれだけおっとろしいものか。

再現された防空壕にも入ってみました。空襲警報が鳴って、真っ暗になって、赤い光がメラメラをあがって、人々の怒号が聞こえます。本当は、これに熱気と、振動があったはずで、恐怖ははかりしれませぬ。地下の防空壕は、焼夷弾にはあんまり効果的でもなくて、けっこう中で蒸し焼きになったらしいです。

建替前の我が家にも防空壕がありましたが、人一人が潜り込めるくらいのスペースでした。標準的な仕様書とくらべるとあまりにお粗末。うちのご先祖、だいぶ手を抜いたな。

大祖母様は相当に聡明な人だったはずなので、防空壕の有効性を認めていなかったのかもしれません。

山之口商店街の「ギャラリーいろはに」の地下には、広大な防空壕があります。あのくらい、でっかかったら、生存の可能性もあったのかも。

大阪大空襲で亡くなられた人々の、名前を刻んだプレートもありました。拝んできました。

私の祖父は、フィリピンで戦死しており、堺の大仙公園の戦没者慰霊碑のところに名前があります。大仙公園に推手をしにいくたび、参拝しております。

戦争による犠牲というのは、本当にヒドくムゴいものです。

人生の途中で、体バラバラです。財産も家庭も、パーです。戦争はしてはいけないです。平和が尊いです。

いろんなインタビュー動画でそのように語られ、子どもたちの感想も、その様に書かれていました。

ただ、平和のために、戦ってはいけない、理解と対話が大切、というところには、私は賛同しかねるのです。

日本国憲法の前文に、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とありますが、この前提が、すでに崩れております。

お隣さんを信用して、私は何の用心も武装もしませんよー、で済む国際社会じゃないですね。現実は。

戦争を避け、平和でいるためには、隣近所の横暴な振る舞いを許さないという、威厳と実力が必要です。

なんやかんやいわれて、はーすんません、これでご勘弁を、といった弱腰で付き合いをしていたら、永遠にタカられます。身ぐるみ剥がれます。殺されます。

平和のためには、誰よりも強く優しくなければならぬ。強くなければ、優しくなれないのです。

ピースおおさかが主張したかったことと、もしかしたら違うかもしれませんが、そういう思いを、私はますます強くしたのであります。

>>核兵器廃絶について

 

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