教えること、学ぶこと

日曜日にいつも太極拳の人が集まっている公園では、推手のグループに入っています。N先生とか、だいたいおなじみのメンバーですが、時々、私と同じ年代のKさんが来られます。

Kさんは、元気ハツラツで、推手をすると、バンバン技をかけてこられます。関節技とか、ドーンと突いてくるとか。

私もKさんが来ると、嬉しいのです。他に人ではなかなか味わえない、セオリー無視の攻撃は、化勁を養うのにとてもいい練習になります。

背中を向けて、クルッと回って、背後に張り付くとか、トリッキーなことも試せます。

梅田の推手の会でも、変わったことをされますが、あちらはそれぞれ修行している武術があり、その中で太極拳の推手を取り入れようとされている人が多いです。

こんな散漫なことはされませんし、隙も少ないです。

Kさんは、陳式かぶれなのですが、芯になるものがありません。まあ、武術オタクですね。顔面や股間がいつもガラ空きです。実戦なら瞬殺だろうなあと思うのですけど、まあ、遊び、ゲームのつもりでしょうし、私もそのつもりで楽しんでおります。そのわりに、上から目線で、あれこれアドバイスをくれるのは、苦笑しかないのですけど。

我々二人の遊びを見ていた先輩から、帰りがけに注意されました。

自分より下のレベルの者には、自分の得意分野に付き合わせないで、きちんと四正の基本から教えてあげないと、変な癖がついて良くない、と。

それに対して、私は答えました。

「Kさんは、私の生徒ではありません。ここには遊びに来られていて、私を遊び相手に選んでくれているので、楽しく付き合っているのです。四正推手は、他の先生方から教わっているようですし、教えるのは、私の役割ではありません。」

普段は、「はあ、まあ、そうですねー」と答えることが多いですけど、この先輩には、きちんと意思表示しておかないと、どんどん変なこと言われるとわかってきたので、最近は、ちゃんと応答するようにしているのです。

先輩はどう思われたか知りませんが、私の正直な気持ちです。

教える義務はない!というのは、授業料をもらってないしーとかいう、セコい話じゃありません。オバサマ方には、教えてーと請われれば、タダでなんぼでも教えております。

Kさんの望みは、教わることではなくて、力を発散させて、上から目線でええかっこしたいということですから、それに合わせているのです。

「教えてしんぜよう」なんて、余計なお世話ってものです。たまに「その攻撃は効かないよー」と、暗に示すくらいはしますけど。

気づくかどうかは、Kさん次第ですね。

ところで、この日、めったに来られない中国人のP先生が、ひょっこり来られました。

手を合わせていただくのは、一年ぶりくらいです。

前回は、全然、立っていられないほど、いいようにあしらわれ、発勁で飛ばされてばかりでしたが、今回、歩きまわってグルグル回って、初体験の足さばきを、じっくり味わうことができました。なんだか八卦掌みたいな歩法でした。

初めての動きでしたが、それなりに対応できて、なかなか良い!と褒めていただきました。自分でも、なかなか良かったと思います。1年で、かなり成長したなーと、実感できました。

P先生には、なにか直接、言葉にして教えてもらったわけではありませんが、一年前の体験では、考えさせられることが多かったし、今回も、太極拳の幅広さを示していただいたような気がします。

教える、学ぶというのは、順序立ててカリキュラムに沿って、というものだけではないですね。とくに、教室でもない、フリーな場ではなおさら。

学ぶ方の意識、意欲、センスがあれば、教えてくださいと請わなくとも、十分、学びができると思った次第です。

もちろん、基礎の下地は必要です。

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