評価を極端に変える人

あの人はとてもいい人だ、こんなこんなで素晴らしい! と、やたら人を褒め称える人がおられます。

人を称えることは、とても良いことだと思いますが、聞いている私は、そこまで誉めちぎるほどかなあ~と思ってたりします。

その人の活動とか功績を評価するのはいいですけど、それにとどまらず、人間性まで手放しで褒め称えているのを聞いていると、そこまで知ってんのか??と疑問に思えます。

ところがですね。そんな誉めちぎりの人って、褒めていた人とトラブルったり誤解があったりして不仲になると、まったく反転して、貶しまくるのですよね。

その人の行いとか失敗を批判するにとどまらず、人間性まで否定し始めます。

それを聞いている私は、そこまで酷いかなあ~と思ってたりします。たしかにあの言動はマズカッタなあ、でも嫌いになるほどでもないよなあーと思ったりするのです。

私は、評価するなら努力や業績を評価したいし、人間性の好き嫌いは別に考えたいです。

人間ですから、付き合いの中で、好きが嫌いになることはありましょうが、好き嫌いで評価を極端に変える人って、なんか、薄っぺらなかんじがします。

嫌になったのなら、波風たてず、静かに離れたらええやん、と思うのです。

私自身、超嫌いになった人とかいます。

回りの人も、その人の悪口を言って、私に同意を求めてきたりもしますが、私は同調して悪口を言うということはしませんでした。(言動についての批判はします)

世の中、すべからく陰陽です。立場を変えれば私も悪人でしょう。

人をおとしめて自分を正当化したり、持ち上げようというのは、あさましいと思うのです。

人は人、自分は自分です。人に基準を合わせても、しゃーないです。

武術に置き換えると、人をおとしめても、自分が達人になる訳じゃないですものね。

そういう薄っぺらな人は、これまで何人か、いました。

そんな人に私は決して同調せず、静かに去ってきました。

そのうち自分の評価も変わるだろうと思っていたこともあります。先に去ってしまえば、後でいくら貶されても私の耳には入りませんので、心は平安です。

利害の関係で、すんなり離れられないということもありますが、心は離れてもう幾年というケースもあります。心が離れていれば、何を言われていても、腹も立ちません。

ぶつからず争わず調停しようともせず、静かに去る。

これがよい、と思ってます。

まあ、直接、火の粉がかかってくるようなら振り払う覚悟ではありますが。

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