達人への道

もう十何年も前からお世話になっていて、結婚式では司会もしていただいた花本弘子先生の話し方教室の、朗読とスピーチの発表会に参加いたしました。

オンラインじゃないリアルな発表会は、コロナぶり。私もずいぶん久しぶりにレッスンしていただきまして、本番に臨みました。(レッスンはズームで)

うちの娘も朗読する!ということで親子で参加です。

観客には、うちのおばあちゃんたちも押しかけ、ツリーハウスづくりでお世話になったM爺様も来てくれました。まあ、懐かしい。

教室の皆様、アナウンサーか声優かと思えるほどのレベルの高い人が多くて、すごかったです。

うちの娘も、学校で練習していたようで、とっても上手。お題目は宮沢賢治の「やまなし」。メルヘンチックな情景が浮かぶように、感情をこめて朗読できていました。

日頃、我が家では「コウベを垂れてつくばえ!」とか「政権与奪の権を他人に握らせるな!」とか「だが、断る!」とか、ドスのきいたセリフばっかり練習しているので、意外や意外。

皆様からも高評価で褒めてもらってました。

ながらくレッスンから離れていた私は、活舌不良のベタベタの大阪アクセントですが、そこは内容で勝負です。

で、スピーチのお題は「達人への道」

日頃このブログで書いているようなことを、まとめた感じですが、こちらも高評価をいただきましたので、原稿を載せときます。(実際のスピーチは、大阪弁の喋り口調で、その場の思い付きや、聴衆への問いかけなんかも入ったりして、原稿とはずいぶん違ってます)

 

「達人への道」

皆様は、朗読やスピーチの達人を目指しておられると思いますが、私の目指しているのはカンフーの達人です。中国武術です。太極拳です。
太極拳といえば、年寄り趣味の健康体操のイメージがあると思いますが、その通りで日本の太極拳愛好家のほとんどが高齢者であり、目的は健康維持とお友達とのコミュニケーションです。
しかし、中国の文化大革命以前の太極拳は、武術であり養生法でした。武術とは外敵から身を守って生き延びる技術のことであり、養生とは健康に気を使い長生きすることですから、目的は同じです。
今は、養生と体操競技としての面だけが広まっていますが、私が目指しているのは、養生であり武術であり学問でもある、総合的な太極拳の達人です。

中学生の時、「空手バカ一代」というマンガを読みました。極真空手の創始者、大山倍達先生の生涯を描いた漫画です。敗戦後プロレスショーに引っ張り出され、アメリカ人に空手で連戦連勝、牛にも勝ち、海外でも各地の武術や、マフィアとも戦い、世界最強のゴッドハンドと呼ばれるようになります。
その大山先生が一度だけ負けた相手が、中国拳法の陳老人でした。陳さんの評判を聞いて香港に会いに行くのですが、すでにお年を召されていたので、手合わせは遠慮しようとします。ところが、せっかくですのでと誘われます。手加減して軽く流すつもりが、静かに立っている老人に、まるで太刀打ちできず、降参して感動の涙を流すというエピソードでした。
その、陳老人が強烈に印象に残りました。

マンガにあこがれカンフー大好き少年のまま中二病の大人になったわけではなく、社会人になり、そんな情熱は長らく忘れておりました。再燃したのはこの5年くらいです。5年前に何が起こったのか、お話いたします。
私は10歳くらいから剣道を習い始め、高校生から少林寺拳法を始めました。支那武術にも興味があったので、大学の近所にあった京都の太極拳教室にも2年ほど通いました。そちらで陳式という太極拳を習って、套路と呼ばれる形を一通り覚えました。陳式の陳は、陳老人の陳です。
大学卒業後は地元で就職したので、太極拳教室は退会しました。少林寺拳法は、地元の道場に通って続けていましたが、仕事が多忙となって、だんだん道場から離れてしまいました。ただ、太極拳の套路は一人でもできますので、体操代わりに続けておりました。
40歳の時に結婚しました。妻が地元の太極拳教室に通っておりまして、生まれた子供もキッズクラスに参加しはじめ、私も教室に参加するようになりました。年寄りと小学生の体操教室みたいなかんじでしたが、太極拳の人たちとの縁ができてきて、愛好者の集まる公園や他の教室に誘われるようになりました。

そこで新たな出会いがありました。太極拳には形練習以外に、二人で軽く手を触れ合って対戦する推手という練習方法があります。その推手で、タマゲタを履いたおじいさんに、両手の人差し指だけで、いいようにあしらわれて立っておられず、転がされ投げられました。タマゲタとは、底が球体になっていて、立つのも難しい下駄です。その老人が日本〇〇太極拳〇〇の〇〇長のN先生でした。(※注 スピーチを面白くするために老人のように語ってしまいましたが、実際のN先生はそんなに年寄り臭くないです)

実際に使える太極拳に初めて触れて、がぜん面白くなって、毎週、N先生に挑むようになりました。
ある日、N先生のお誘いで、大阪城公園での太極拳イベントに行きましたら、本格的な武術テイストのある表演をしている人がおられました。
見たことのある人だと思ったら、学生時代に2年間通っていた教室にいた安田さんでした。私が教室を退会した後、安田さんは学校を卒業して、太極拳のふるさと河南省温県陳家溝という村に行き、陳氏太極拳四大金剛の一人として名高い陳正雷老師のおうちに押しかけ弟子入りし、10年間学んで門派の伝承者になっておられたのです。
その場で教えてください!とお願いして、個人レッスンを受けることになりました。N先生には推手で挑戦するだけでしたけど、安田先生からは、昔習った陳氏太極拳の学び直しとなりました。
レッスン初日に、「全然できてない、一からやり直し!」と宣言され、初歩の基本からの練習となりました。

私がやってきた陳式太極拳は、他の門派の太極拳に比べると、突きや蹴りが素早く、地面を踏み鳴らしたりして、激しい動作が多くカッコいいです。対人練習もできるし、そこらの素人よりはだいぶマシと思いあがって人前でも調子に乗ってやっておりましたが、安田先生からスピーディーな動きは一切封印を命じられました。
ゆっくり手を回すだけを3時間とか、形の最初の動作だけ何十回もとか、地味で単調で、筋肉痛になるような辛い練習が一年ほど続きました。(※注 スピーチをドラマチックにするため、やや誇張しております)
ピアノの発表会でショパンとか弾いていた人が、ドレミの練習をひたすら3時間みたいなかんじです。
しかし、これこそ本場のほんまもんの太極拳なんだと信じて、素直に、家でも続けておりました。
基本の形がある程度できてきたということで、2番目の形、3番目の形と套路の練習に進むようになり、さらに、これまで全然やったことのなかった棍や刀や剣の練習も取り入れられました。発勁や震脚といった激しい動作も解禁され、正確な動作を学べるようになりました。こういう総合的なプログラムこそ、明とか清の時代から続いている太極拳の伝統的な学習法だったのだと、知りました。

安田先生から学び出して5年ほどになります。初出場の大会でいきなり金メダルをもらえました。よその教室のイベントで講師の依頼をされたり、空手や合気道、その他の武術の人などとも手合わせできるようになりました。
達人だ!と言ってくれる人もチラホラでてくるようになりましたが、日頃、N先生や安田先生を見ておりますので、自分では自分を達人だとはまだ思えません。

日本にも、太極拳歴30年とか40年とかいう人は、ざらにおられます。しかし実際に武術としての手合わせができる人は少ないです。
私が受けているような総合的なカリキュラムで学べる教室が少ないということもありますが、上達しない人には、共通点があることに気づいてきました。
上達しない人は、単調な練習を嫌い、新しい知識ばかり求める人が多いです。中国武術愛好家は、気だとか発勁だとか神秘的な話が大好きな、練習しないウンチク親父が多いのです。
そんな人は、新しい人や年下を格下に見て、話を聞こうとしない傾向があります。自分の方が物知りだとマウントを取りたい人が、聞いてもないのに怪しげな秘伝を教えたがりますが、自分ではできないし、話もデタラメです。
私は、実は安田先生より年上なのですが、素直に教わって練習したので上達しました。最近は人に教える機会が増えていますが、素直に聞いてくれる人は、初心者のおばあちゃんでも上達していっています。人を敬えない人は、貴重な教えを受け取ることができず、ヘタクソなままです。

小器用な人より、ドンくさい人の方が達人に向いています。記憶力が良くて、套路の形なぞ一週間で覚えられた、みたいな人は、奥深いところに入っていく前に興味が他に移って大成しません。一年経ってもまだ一つしか覚えてない、という人の方が長い目で見れば上達します。
私は武術歴は長いですが、賞を取ったのは今年が初めてでした。それまで試合に勝った経験もないし、昇段試験も、普通にやっていれば通るだろうというところを、落ちました。
中学生のころのあだ名が、ドンちゃんでした。ドンくさいドンちゃんです。ドンくさくても好きで続けていける方が大成しますね。
実は、音楽に中途半端な才能がありまして、ギターでもピアノでもサックスでも沖縄の歌三線でも、ちょろちょろやればパッパと人前で演奏するくらいはできます。民謡の先生に「あんたみたいにすぐできる人は、あんがい頭打ちになるさー」と言われたことがありまして、実際、そこそこはできても、情熱的にはなれず、新しい人に抜かされています。

意外に思われるかもしれませんが、競技選手は達人になりづらいです。競技の点数や審判受けにこだわると、本質的なところから外れていきます。上位入賞者が体の故障を抱えていたりして、武術にも養生にもなっていなかったりします。
私は金メダルをもらいましたが、採点を意識した練習などしておりませんでした。伝統武術として丁寧にやっていたら、たまたま審判の見るポイントからも外れていなかったのでしょう。

ご縁を大事にできるかということも上達度合いに大きな影響があるのではないかと思います。同じ人に出会っているのに、活かす人、気づかない人がいます。いい先生に出会っているのに、次々移り変わる人は上達しづらいです。

達人になるために、よく言われるのは、良師について正しい教えを素直に学んで実践する。好奇心をもって根気よく求め続けるということです。
私は、毎日チンタラと続けることかな?と思っています。血と汗と涙の努力や根性は不要です。トーナメントの頂点に立つとか、最低でも金メダルとか気負わず、頑張るときはがんばる!オフはしっかり休む!という区別もせず、地位や名誉も金儲けもあきらめて、いつも自然体で、息をするがごとく、練習し続けるということです。生活習慣にするということですね。
太極拳を日々チンタラダラダラと続けていれば、健康や精神の安定に役立ち、いざというときは護身術として体が自動的に動くようになります。(※注 誇張あり)

50歳を超えて、中学生の頃の憧れを思い出して達人を目指している理由はなにか? と考えてみました。それは、自分が何者か?というアイデンティティが欲しかったのかなと思います。「あの人は何屋さん」みたいな、一言で言える何かです。
昔から、自分にはそれがないなあと思っていました。仕事はいろいろ変わってきて、今は「実家の不動産事業を継いでいる人」とか「マンション建て替え委員長」とか「器用にいろんな楽器弾く人」とか「十和子ちゃんのお父さん」とか「ハゲの人」とかありますが、これじゃない!って思っていました。
それがこの頃「太極拳の人」になりつつあります。それは正に、自分が子供のころから思い描いていた自分です。マスオーヤマを感服させた陳老人の姿が見えてきました。

達人への道に乗ったなあと思えてきた今、この奥深い学びを、次の世代につなげたいと思っています。というのも、年寄りの趣味のままだと、高齢少子化の未来には、太極拳をする人がいなくなります。残ったとしても、健康体操か採点競技だけになって、長い歴史の中で育まれた壮大な技術、学問が伝わらず、それはもったいないと思っているのです。
ですので、今、太極拳の教科書を作っています。そこらの本屋さんで売っているような入門書とか、昇段試験用テキストじゃなくて、私が学んだ総合学習プログラムを網羅できるような教科書です。
安田先生が、本場で学んだ太極拳というような本は出版されていますが、基礎から順番に学べる教科書みたいなのはありません。そんな本を作り、子供世代に教えて、太極拳を未来に残していきたいと壮大なことを妄想しております。
構想5巻、今、第3巻まで書きましたが、安田先生の指導を受けるたびに、書き直しを繰り返しておりまして、さっぱり進んでおりません。完成までに何年かかるだろうかと気が遠くなりそうになっています。達人を目指すのと、教科書を作り上げるのが、ライフワークになりそうです。
太極拳の養生効果で150歳まで生きる予定ですので、それまでにはなんとかなるだろうと期待しております。

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