能は、歌舞伎や狂言、人形浄瑠璃と同じようなかんじの、日本の伝統芸能です。
落語なら、特に事前知識がなくとも普通に聞いていて面白いですが(わからんのもありますが)、このあたりの歴史の古い芸能は、いきなり何も知らずに舞台を見たとしたら、ちょっととっつきにくいですね。
西洋文明で言えば、ミュージカルなら面白いけど、オペラはわからん、みたいなかんじでしょうか?
目次
大槻能楽堂に行きました
娘の通う小学校に、能体験の案内が来ておりましたので、これはいい機会だと、家族で能楽堂にでかけました。大阪城公園の近く、難波宮跡公園のすぐ南です。
大人の場合は、まず、いろんな演目を見て、興味関心を持ったところで、節回しの内容とか小道具、演者や歴史だとかを知りたくなるものだと思いますが、小学生向けの体験では、いきなり能面をかぶって舞台を歩いてみたり、楽屋で小鼓を叩いてみたり、「高砂」を一緒に唸ってみたり、意味がわからんでも、面白い! と思わせるところからでした。
私も、能を見たことは、そんなになくて、あんまり興味もなかったのですが、子供のやっているのを見て、面白い!と思えた次第です。
昔は、能面を子供に触らせることってなかったらしいですが、この体験会では、気前よく、子どもたちにかぶらせて、舞台を歩かせておりました。能面の目のところは細くて、よく見えないらしいです。足元が見えないので、ズリズリと、すり足になってしまってますね。
小鼓、大鼓の体験は、本物の練習用の鼓をもたせてもらえて、よーぉっ、ぽん、というふうに打たせてもらってました。私もやりたい!とおもったんですけど、大人げないので遠慮しました。
船弁慶
いろいろ体験の後、最後に演目を見せていただきました。
「船弁慶」という演目(後半)で、源義経一行が船に乗っていたら、平知盛(とももり)の怨霊が現れて、薙刀を振りまわせて、襲ってくるのを、弁慶が呪文を唱えて追っ払うというあらすじでした。
能の役者の歩き方は、体は常に垂直に、歩くのはゆっくりすり足、足をあげるときは、ぴょこっぴょこっと膝を上げる動きが、なんだかユーモラスで面白いのですけど、薙刀を振り回す怨霊は、すごい迫力でした。
途中の静かな場面で、私ちょっとウトウトしてたんですが、怨霊がバンバン足を踏み鳴らし、髪の毛と薙刀を振り回すシーンで、すっかり目が覚めました。
(撮影禁止でしたので写真はありません)
時代劇のチャンバラとはまた違う、洗練された日本の美、というかんじがします。
能の囃子
お囃子の盛り上げ方も、すごいのです。
太鼓と鼓、笛、いよーッとか、ホッ!とかの掛け声は、後ろに座っている5人くらいが音楽担当なのですけど、これ、ちゃんと楽譜というか、音階とか、決まってるんだろうか、適当にアドリブで入れているのだろうか、よくわかりません。
ジャズとかクラシックとかフォークソングとかに馴染んでいる現代日本人の私の音感では、音階さえ、耳コピができませんでした。
しかし、動きと音楽がピッタリあって、独特の世界に引きずり込まれるようでありました。
これはなかなか、ハマるかもしれないなーと思った次第です。
能は難しい?
よく、何を言っているのか分からないから、能や歌舞伎はむつかしいという意見も聞きますが、あれはセリフを聞き取ろうとするとわからなくなるんであって、イタリア語のオペラでも見ているつもりで、声を音楽として愉しめばいいと思います。
といっても、日本の言葉を一音一音はっきり区切って非常にゆっくり喋っているので、聞き取れないことはないはずです。うちの子は、高砂の出だしの部分を覚えてしまいました。
高砂の歌詞
高砂といえば、結婚式で新郎新婦の座る席のことだと思っていたのですけど、歌だったのですね。
「高砂や この浦舟に 帆を上げて この浦舟に帆を上げて 月もろともに 出潮(いでしお)の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はやすみのえに 着きにけり はやすみのえに 着きにけり」(Wikipediaより)
娘は、家に帰ってからも時々思い出すみたいで、女の子のくせに、えらい太い声で、「こ、の、う、ら、ぶ、ね、に、ほ、を、あげーてー」と唸ってます。
ちなみに高砂は結婚のお祝いの歌ではありますが、いまどきの結婚式の「ハッピー♪」という軽い感じが全然なくて、おごそかです。
歌詞の意味は、兵庫県の高砂から船に乗って、住吉大社にやってきた、という意味らしいです。作者は世阿弥。
能と狂言の違い
能は武家とか公家向きの、歴史とか神話をネタにした高尚な芝居だったという話です。幽霊とか怨霊とかよく出てきて、幽玄な感じです。
狂言というのは、本来は、能の一幕とか二幕の間に入れられた短い芝居だったそうです。ちょっと一息の、小話みたいな感じだったのでしょうか。それが独立して、大衆向けに広まったのだとか。風刺のきいていて笑えるのが狂言です。能面はつけません。
歌舞伎は、その成り立ちから庶民のエンターテイメントです。派手で面白いものだったそうです。
落語もそうですが、エンターテイメントも古くまで生き延びれば、だんだん文化・芸術になっていくのですね。
現代で言えば、マンガとかアニメ、ゲームも、なんだかアートや芸術文化に格上げされていってるような気がします。
時代の最先端を走りすぎて、無理解な人に眉をひそめられても、100年くらい頑張ったら尊敬されるかもしれません。
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