体罰についての考察

親が子に体罰を加えることを、法令で禁止されるのだとかされたのだとか。(懲戒権がどうたら。)

痛ましい虐待事件の連発する今日このごろです。

法律によって規制をすると言うなら、諸手を挙げて賛成!!

…とは思いません。私は。

虐待はだめ、じゃあ、体罰もだめ、というのは、短絡的すぎると思うのです。

体罰と虐待

まず、家庭での体罰ってなんだってことですが、子供がするべきでないことをした時、しようとした時に、こらっ! パッチン!と、ほっぺたとか、お尻を叩くことだと、私は認識しております。

まさか「拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰」のことを指してはいないでしょう。

鼻血が出て骨が折れるまでぶん殴るとか、一晩中、外に放り出すとか、食事を与えないとか、風呂に顔をつけて懲らしめるとか、それは虐待ですね。

虐待は、子供によい教育をしようとか、賢くなるように躾けようという目的とは、方向違いの行為です。

親の思うように動かないから、力で持って制圧しよう、強制しようとする行為が虐待の動機だと思います。

虐待は子供のためではなく、自分の都合とか苛立ちによるものです。子供だけを犠牲にして、親の自己犠牲がありません。愛情に欠けております。

虐待を受けた子供は、恐怖から親に屈服はしても、反省して正しく生きようとは思わないはず。(反面教師にすることはあるかもしれないですが。)

体罰の概念

体罰は、「罰」なんて言葉を使うのでイメージが悪いですが、「やや激しい身体接触を伴う教育法」と考えると、どうでしょう?

罰じゃなくて、訓練の一環です。

たとえば、盲導犬のトレーニングでは、赤信号で渡っちゃいけないと教え込むのに、トレーナーが我が身を犬にブチ当てて、一緒に倒れ込んで、危険を教え込むんだそうです。(テレビかなんかで見ました。)

犬に対しては「赤信号は、クルマが走ってくるから、あぶないんやでー。止まってよー。」なんて言葉じゃ伝わらないからです。

本能的に、延髄反射で行動できるように教え込むには、やはり身をもって味わわせませんと。

教える方も命がけですね。

体罰を行うべき年齢

善悪のわからない幼児になら、言葉より、体ごとで体当りするような教育のほうが、効果があると思うのです。知能が盲導犬ほどにも成長していない段階では、聴覚だけでなく、触覚で教えたほうが良いでしょう。

高いところによじ登ったら危ないよー、と声掛けだけじゃ通じません。

幼児なら、こらっ!とペチンと叩かれるだけで、ああ、いけないことをした!これは禁止事項! と子供心に刷り込まれると思います。知能は発達していなくても、感情はしっかりありますし。

もう少し大きくなって、たとえば、幼稚園児が、お食事中に、ふざけて食べ物を投げたとします。

そんなときも「こら!」ペチン! と、叩いてから、なぜ食べ物を投げてはいけないのかを、じっくり諭すと、より心に沁むでしょう。

これなら、親の方も、心が傷んだりもしませんね。

お食事中に、うっかりお茶碗をひっくり返したとか、屁をこいたというのは、これは叱ることでもないと思います。失敗だったり生理現象なのですから。

失敗を怒ってはいけません。失敗したら、再チャレンジです。

また、もっと小さい子が、食べ物をわしづかみにして顔に塗りたくったりするのは、これは悪気じゃなくて好奇心ですから、咎めることでもないでしょう。危険なこともないですし。

ここで、怒りの感情が湧くのは、子供中心ではなく自分の都合中心だからです。後片付けが面倒とか、恥ずかしいとか。

法による規制

法律で、親が子供にたいする教育の手段を規制するってのは、いかがなものだと思うのです。

法律で規制するからには、罰則が必要となりましょう。罰金とか懲役ですね。

虐待の親なら、親権を奪って牢屋に打ち込めばいいと思いますが、体当たりの教育まで禁止したら、だれが命がけの教育をするというのです。

罰金が嫌だから、子供を強く叱らない、なんてなったら、日本の未来は暗いと思います。

感情で怒らない

子供を叩く時に、怒りの感情が入ると、これは教育的指導ではなくて、虐待につながりやすいのではないかと思います。

もう小学生の高学年とか、中学生とか、分別のつくはずの年齢の子供に殴りつけないといけないような事態が起こっても、もはや、体罰では教育的指導はできないと思っております。

「ペチン」くらいじゃ屁の河童でしょうし。

力強く行けば、怪我をさせかねません。

子供に反撃を食らう可能性もあります。

人格否定的暴言も伴いがちで、罵り合いになったりして、お互いに心に傷が付きます。くたびれます。尾を引きます。

憎しみが湧き上がり、教え諭すどころじゃありません。

それはそれまでの親の教育が悪いと思います。そんな子供に育てた自分自身をぶんなぐるべきです。

体罰の効果のない年齢には、知性と感情に訴えて諭すべきだと思っております。

身体的接触が必要なら、なぐるより抱きしめたほうが効果が高いと思います。

(スクールウォーズみたいな不良高校生は、今回、除外して考えております。)

心が痛む教育?

我が子を殴っておいて、「あなたを叩くお母さんのほうが、心が痛むのよ!」なんていうセリフがありますが、心が痛むのは、後悔しているからだと思います。

盲導犬にぶち当たるトレーナーって、心が痛みますでしょうか?

訓練のカリキュラムの一環ですから、後悔もなにもないでしょう。一番合理的な方法だと考えられているでしょうし。

(自爆のための軍事訓練なら、心が痛むと思いますけど。)

後悔するような躾は、躾とはいいがたいです。

体ごとの躾をしてこなかったことのほうが後悔すると思います。

正しい体罰

体罰って、こう考えていくと、あるべき体罰、してはいけない体罰があるんじゃなかろうかという気がします。

なにか、子供が悪いことをして、人に迷惑をかけたので、親がぶん殴るというのは、体裁とか怒りからの行為であり、教え諭すための行為ではないと思います。

激しい身体接触は、すべて虐待! というふうになってしまっている昨今の風潮ですが、昔々からそんなふうではなかったはず。

教育としての合理的な体罰が、伝えられていない、継承されていないのが問題ではないかと思います。

私もそんなの、子育てセミナー等でも教わりませんでした。

きょうびは、正しい体罰を受けたことのない子供が親になって、自分の子供には虐待したり、子育ての方法がわからなくなってうろたえたり、歪なことになっているのではないでしょうか。

私自身は、親から頭をはたかれた記憶がある程度です。それも幼児期ですね。何を叱られたのかは忘れましたけど、おそらく深層心理で、危険行為をストップする役目を担っているのだと思います。

私の場合、子供の頃から剣道やら少林寺拳法やらで、日常的に激しい身体接触的指導を受けておりましたもので、何が体罰だったのかよくわからなくなっておりますけど、そんなに恨んだり、嫌な思いは残ってないですね。

冬の剣道って、冷たい板の上で裸足だし、辛かったです。そのうちあんなのも虐待の部類に入れられてしまうのではないかと思うと、ちょっと日本の文化、伝統を危惧してしまいます。

親のための正しい体罰セミナー

食育のセミナーとか、知能向上セミナーとか、お受験の塾とかいろいろありますが、親のために合理的で効率的、愛情ある正しい体罰を教えるセミナーがあっても良さそうな気もします。将来、子供に感謝されるような。

身体接触を伴う激しい教育は、親が責任を持って自分でやるべきです。

戸塚ヨットスクールに丸投げではいけません。

昔の大家族の時代なら、代々教育法も受け継いでこれたのでしょうが、現代の核家族では、伝承はぶつ切りです。どこかで学ぶ機会が必要かもしれません。

全国一律というのも変なことですが、文科省が、マニュアルとか、ガイドラインとか、作ってみては?(事なかれ主義とか、利権とか忖度にまみれたマニュアルができそうですけど…)

ちなみに、私が自分の子供にしたことのある体罰は、お尻パッチンくらいは、しょっちゅうで、叩く方も叩かれる方もスキンシップくらいの感覚です。

私が子供に、本当に叱りつけるつもりで体罰を加えたのは、娘がママに「死んだらいいのに。」といった時です。

玄関の外に放り出しました。保育園児の頃です。わんわん泣いて、声がかれるくらいになった時に、家に入れてじっくりと諭しました。

これ以降は、死ね、などというひどい言葉は言わないです。

ただ、外に放り出す作戦は、季節や環境によっては危険なような気もするので、おすすめするわけではありません。一歩間違えば虐待になりかねませんし。

凍えて凍死したとか、誘拐されたとかという事態になれば、どう言い訳したって許されることではないし、取り返しの付かないことです。

やはり虐待と体罰って難しい問題ですね。

しかしそれだからこそ、一律法律で禁止というのは、よろしくないと思っております。

 

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