内功についての考察

太極拳の内功を、なんだか一子相伝門外不出の秘伝みたいに語られている人がおられまして、そうかなあ? と思ったもんで、考察しました。

門を閉ざして、技を盗み見たものは殺す! みたいな乱世の昔はそうだったのかもしれませんけど、今の時代、そうでもないよね、と思います。

以下の文章は、とあるところに投稿したものです。そのまま転載します。

内功についての考察

内功は、太極拳の核心であり、太極拳を武術として考えるならば、必要不可欠なものと考えます。極端に言えば、内功がなければ太極拳ではない!といっても良いでしょう。
内功は、クルマで言えばエンジンみたいなもので、出力の源です。(きょうびは電気自動車もありますので、エンジンをモーターに置き換えても良いでしょう)
エンジンのない車はプラモデルみたいなもの、移動手段として実用に供しえない飾り物です。エンジンのない車よりは、自転車の方が役に立ちます。
内功がなければ、太極拳の、力の入らない中途半端な動作は、武術的な意味を持ちません。陳式には、一見パンチに見える掩手肱拳などの動作がありますが、パンチだと解釈して威力比べをすれば、空手やボクシングにはるかに劣るでしょう。中学生くらいの、無茶苦茶なパンチぶんまわしにも負けるかもしれません。
中学生のパンチでも、自転車くらいの働きをするかもしれませんが、掩手肱拳は内功なしでは使い物にならないです。
ですので内功を秘匿するというのは、武術として教えないということと同じ意味になります。
それでは、内功を学ぶとはどういうことか、どう養うのか、どう伝承されてきたのでしょうか?
内功養成法は、実は秘密でもなんでもなくて、基本動作の中にあります。陳式の場合は基本纏絲功と呼ばれる練習がそれです。
内功は、車のエンジンと同様、後付けでポン!と載せられるものではありません。ボディやシャーシを組み立てていく中で、搭載されます。
太極拳では、まずは形を整えます。車の組み立てでは、設計図通りにシャシーに、ミッションやらドライブシャフトやら、ハンドルやら椅子やらを取り付けていきます。タイヤも正確なアライメントで取り付けます。組み立てに間違いがあれば、エンジンがあっても、まともに走れません。太極拳も同じで、形を設計図通りに組み立てる必要があります。
人間の場合、内功はもともと備わっているものですが、それを武術に活かせるエンジンにするために、効率的に力(勁)を発揮できる構造とシステム(纏絲)を組み立てるのが、基本功の意味です。站樁功も基本功の一つだと考えてよいでしょう。
内功を発揮させられるシステムは、非常に緻密で繊細なものなので、時間をかけてじっくりと整えていく必要があります。やみくもに力を入れたり踏ん張ったりすると、作りかけの緻密なシステムがぶっ飛びますので、あせらずに丁寧に行います。
私の経験で言えば、正しく学んで毎日練習しても、この形を整える段階に3年~5年かかると思います。
套路は基本功を繋いでセットにしたものです。ひとつひとつの動作を正確に行うと、基本功と同じ効果があります。勢いで流していては意味がありません。内功を養う形になっていない、表演の為だけの套路に意味はないと思っています。
推手は、内功を養う手段にはしにくいです。間違ったやり方で推手を行うと、せっかく養いかけた内功を崩壊させてしまう恐れがあります。競技推手はまさにそんなかんじだったので、私は出場をやめました。
推手は内功を発揮した状態で、実際に対人で動くことができるかの確認練習だと考えます。それっぽく推手ができても内功がなければ、パンチぶん回しの中学生に負けます。
推手も套路と同様、丁寧に行う必要がありますし、推手の延長である散手も、チャンバラみたいになっては太極拳から離れてしまいます。
内功のある本来の太極拳を自分の中に作り上げることができれば、武術として使えるようになります。
相手が空手家とかキックボクサーだとか、全然違う格闘技の場合、間合いも違うし、戦略を考える必要がありますが、それは別の話です。

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