太極拳と歌舞伎

夕方に公園で陳式太極拳の套路をしていると、ちょいちょい見かける子供がよってきて、「それ、カブキ?」と聞いてきました。

「カブキとちゃう。カンフーやで。」と答えました。

「戦うの?」「戦うねん。」「誰と?」「悪者と。」みたいな会話の後、隣で真似し始めましたが「わー、でけへん!」と言って、早々に去っていきました。

そうか、子供には歌舞伎に見えるのかーと、ちょっと褒められたような気持ちになった次第です。

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伝統芸能と太極拳

坊主頭の私は、日頃「海老蔵カット」とか言って自慢しておりますが、歌舞伎を実際に見たことはないです。

能楽なら、子供と見に行ったことがあります。能のアクションシーンを見た時、なんだか陳式太極拳に似ているな、と思いました。立身中正や、上下相随など、動きに通じるものがあると感じたのです。

能がそうなら、同じ日本の伝統芸能、歌舞伎も似たような感じではないかなあと思います。

でもそれは、上手な人の太極拳と比べてであって、地元のお年寄りばかりの教室でやっている太極拳は、似ても似つかんもんです。立身中正、上下相随など、できてません。ガンキョウバッパイとか、なにそれ?てかんじ。

ヨレヨレしていて、申し訳ないですが「ゾンビ?」という感じの方もおられますね。(マイケル・ジャクソンのスリラーはイメージしないでください。)

まあ、80歳や90歳のお年寄りが健康のためにするには、それも素敵なことだと思いますが、伝統的武術の稽古をしているといわれると、うーむ、と何もいえません。

私の套路が、子供の目に、歌舞伎に見えたのなら、まあまあ、芯のある動きができているってことで、嬉しいことです。

太極拳は頭も使う

この頃の私は、毎日朝夕、基本功みっちりに老架式の一路と二路、短棍、時間があれば新架式もというふうに、けっこうひとり練習に時間をかけております。(それでも合計90分とか2時間くらいですが…)

推手は相手のいる場にいかないとできませんけど、套路練習も推手の練習と同じだ、という考え方を教わりまして、体の使い方に、よりいっそう陰陽を感じられるようになってきました。

套路練習をするたびに、なにか、違和感とか、しっくり感とか、新たな発見、気付きがあります。こういうのは、長年一人練習をしていたときにはなかったものです。

太極拳って、大学体育会系のノリでひたすら反復練習しているだけでは上達しないなあ、と、このごろつくづく感じております。やはり、考え方とか、理論、イメージなど、頭の方も使わないと、間違った体の使い方を刷り込んでしまうことになりますね。

私はまさにそんなことを、20年以上もやっておりました。

ここ、数年の間、いろいろな先生に出会い、次々と、太極拳情報が上書きされております。修正の繰り返しで、体の使い方も変わってきておりますし、整体の先生が言うには、体つき、姿勢も変わってきているということです。

もっと早くに良い先生に巡り会えていたら、いまごろはイッパシの武術家だったかも、とも思うのですが、介護会社の経営をしているころは習いに行くような時間もなかったし、時間があったとしたら、おそらく高校生の頃からやっていた少林寺拳法の方を続けていたであろうし、これでいいのだ、と思うことにします。

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