ちょいちょい槍の練習をしています。
白蝋樹を武術専門店の通販で買いまして、それを使っております。
これもたいして、しなりません。中華街で買ったのと同じです。中華街の、パッチもんだとかいってすみませんでした。両方ともパッチもんということはないでしょう。使っているうちにしなってくるのかな?
塩ビの水道管の方がよくしなりますが、手触りは白蝋樹の方が良いです。
槍の套路は、陳正雷老師のYouTubeレクチャー動画をノートに描き写したりして、いちおうひととおり把握しましたが、やっぱりよくわからないところがあります。
わからないまま練習していたら、間違ったことを体に浸み込ませることになりかねませんし、やっぱり套路の練習は、ちゃんと習うまでやめときます。
それで、部分的に習ったところだけ、基本功のようにして練習しています。
槍の代表的な動作といえば、 攔 、拿 、扎 ですね。マンガ「拳児」に書いてました。
李書文が、師匠から槍を習うのに、自分は套路なんかやりまへん、この基本だけで十分ですわー、みたいな生意気なことを言って、 攔 、拿 、扎 だけ極めて、神槍李と呼ばれるようになった、みたいな。
よし、その路線でいこう。
ただし、陳氏太極拳の槍の基本は、マンガにあったような、槍の先っちょをグルグル回すような動作ではなく、槍全体を小さく返し、突きます。両手の掌の向きが変わる感じです。 攔、扎、拿、扎と、突きながら、前後に行ったり来たりしてます。地味です。
腕の力で突くのでもなく、体重をぶちかまして突くのでもなく、胴体の開合で突くように心がけています。力の入りどころのない、とりとめのない動きで難しいですが、道場のサンドバックを棒でつついたら、ボヨーンと天井まで跳ね上がりましたから、威力はあると思います。
他には、大刀や棍と共通する動作も練習してます。こっちはちゃんと習った動作です。同じ動作でも、軽くて、長くて、しなる(ちょっとだけですが)棒だと、感覚も変わりますね。
長い棒を使うと、お腹や腰に備え付けられたエンジン、すなわち丹田エンジンが鍛えられていく感じがします。ランボルギーニカウンタックのような大排気量エンジンに育てたいものですが、まだ燃費が悪い雑なエンジンです。点火時期にバラツキがあり、排気漏れがある感じ?
まずはランボルギーニのような大排気量エンジンを目指し、次はコンパクトにまとめていき、軽自動車くらいのエンジンにしていく、と私は先生に教わりました。小さい出力でも、十分な効果を生むように精錬していくということなのでしょう。(掩手肱拳での説明でした)
なるほど、太極拳も省エネのSGDsなのだな。
電気自動車には乗りませんけど、軽自動車は好きです。こないだ懐かしのマツダ・オートザム・AZ-1のガチャガチャを見つけて、思わず買ってしまいました。ガチャガチャなんかアカン!といつも娘には言い聞かせているのに。
話がそれました。
槍の鍛錬は「打つ」動作に、たいへん影響がある気がします。他の武器ももちろんそうですけど、特に槍は、打ちにくいのを打つのが難しいかんじがします。
槍ができるようになれば、素手の套路でも、打っているのだか何をやっているのだかよくわからない動作が、たちまち息が吹き込まれ、意味ある動作になりそうです。
大会の表演を見ていると、打っているのだか何をやっているのだか、よくわからない人が多いです。空手とかの他の武道の人に見られたら、恥ずかしいやん、と思ってました。
そういう人って、武器をやってないのだと思います。というか、槍ができてこその太極拳だったんじゃなかろうか? という気がしてきました。そういえば「太極拳論」って、もともとは槍の指南書だったそうじゃーありませんか!
達人への道中、必ず通らねばならぬチェックポイント、迂回不可なのが、槍じゃなかろうか?
槍ポイントまでに、刀、双刀、大刀、剣、新架を通ってくるように、この太極オリエンテーリングコースが設定されているように思えます。(棍は、武器全般のダイジェスト版のような気がしてきました。)
これが、伝統のカリキュラムだったのかー! ようやく全貌が見えてきまして、感慨深いです。いや、聞いてはおりましたが、自分で感じられたのが、ようやくってかんじです。
もちろんこの先も、武器の対練だとか擒拿やら点穴やら、果てしなく課題は続くのでしょうけど、ここまできたら、正規コースの義務教育ひととおり修了、この先は高等科ってかんじでしょうかね?
どうやら中等科修了の見込みまでは見えてきたようで、大変うれしいです。
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