市の太極拳大会でした。
今回はスタッフとして会場設営や弁当配りの役割をいただき、開場前に現地入りしておりました。
その上で3つの教室から出場し、それぞれリハーサルもあって、お色直しも3回くらいやって大忙しでありました。
昨年は個人の部に出場し、伝統拳部門に双刀で出場して3等賞をいただきましたが、今年は集団演武の発表会みたいな感じで、点数とか賞とかはなかったです。それもまた楽しからずや。
大会のための特別な努力とか、気負いとか、緊張とか、調整とか、まったく何もありません。いつもと同じ精神状態です。長丁場で、ダレてきたかな、という程度。
妻は数日前から熱を出して寝込んでおりましたが、今日はだいぶ良くなったようで、途中から娘と見に来てくれました。集団推手の発表は、まあまあ面白がってくれたみたいです。
ところで最近また熱が出る咳が出るという人、多いですね。
推手道場でご一緒しているR氏も、声がガラガラでした。
「こんなに体調を崩したのは数年ぶり、いつも健康をうたい文句にしているのに、恥ずかしい」と嘆いておられたので、私の意見を述べておきました。
「何の恥ずかしいことがありますかいな。熱が出るとか鼻水が出るというのは、免疫が正常に機能しているということで、健康な証拠です。元気があれば病気もあって、陰陽です。元気元気元気ばっかりで過ごしてたら、突然死でんがな。たまに病気をするのもいいことです。良かったですねー」
R氏は、そういう考え方に触れるのは初めてだったのか、ずいぶん感心してくれておりました。
私も1年か2年に一度くらいは、熱を出して3日くらい寝込みます。寝込んでいる時はしんどいですが、あーこれで体が調整されているんだなあ、これで良い、と思っております。無理やり思い込もうとしているのではなく、心底そう思えます。
このごろはなんでもかんでも陰陽思想にリンクさせて考えるようになってきましたが、私の所属する倫理法人会でも、同じようなことを教えてくれてます。
「病気は生活の赤信号」といって、病気になるのは、生活習慣に良くないことが起きているサインである、病気は生活や心構えを正すキッカケとなるものである、だから病気は悪いことではない、病気になったら喜べ、というかんじです。
これは私にとってパラダイムシフトではなく、ずいぶん昔から、そんな風に考えていたような気がします。自然派志向なもんで。
自然現象である病気を、無理やり止めようとする妨害工策こそ有害であって、だから薬とかワクチンはヤバい!というのが信条でした。
ですので新型コロナのワクチンを拒絶したのは、私にとって当然の流れです。陰謀論に洗脳されて偏執狂になったわけじゃありません。
妻は以前は、テレビの言うこと医者の言うことはなんでも鵜呑みにしておりましたが、自分自身が特発性血小板減少性紫斑病で死にかけて、漢方薬で命拾いした経験から、私と同じ考え方になってきました。
今回寝込んだことで、アーよく寝れたと喜び、食欲がなくなったことで、久しぶりに腹が鳴く音を聞けたと喜んでおられます。
考え方ひとつですね。人生を良くも悪くもするのは。
人生の達人になりましょう!
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