ここが踏ん張りどころ! とかいって、一所懸命がんばるのは、尊いことのように思われていますが、踏ん張らないのが太極拳です。
推手で踏ん張ったら、盛大に飛ばされます。
踏ん張るというのは、すでに我背彼順の状態、やられ態勢になっているのであって、踏ん張ったところで、わずかな時間稼ぎにしかならないです。相手がヘタクソならリカバリーできるかもしれませんが、相手の方が上手なら、復帰は不可能です。
生き残る、逆転するには、その場で踏ん張るのではなく、そこは捨てて、違うアクションに移らないといけません。足を動かして下がるとか、後ろを向くとか、上級編では胴体の開合で化勁するとか。
これは、太極拳だけの特殊な話でもないように思います。
フィリピン本の感想でも書きましたが、当時、「死守せよ!」といわれたら、本当に死んだのですね。玉砕です。そして、だいたい守れてません。その場で踏ん張ったらアカンのです。
なかには、多大な犠牲を払いながらも、守り切った!というケースもあろうかと思いますが、少数派でしょう。
口論、議論でもそうです。持論を曲げずに頑固として言い張っていたら、話は進みません。時間の無駄です。そこはさっさと譲って、もっといい方法を考えた方が良いです。
仕事もそうです。
私は以前、介護事業の経営がうまくいかず、それでも踏ん張っていたら、傷がどんどん大きくなりました。結局踏ん張り切れず、空中分解。判断が5年遅かったです。
ブラック企業で過労死するまで踏ん張っているより、やめた方がいいです。踏ん張るしか能がないのは、思考力と勇気がないのです。
私の甥っ子、この春入社した会社、もうやめたそうで、おいおいもうちょい踏ん張れよ、と思いましたけど、まあ、それもまた良い経験。世間をたくさん見てもらいたいもんです。
そのお父ちゃんは、大手企業に20年勤めて鬱病になってからやめましたが、今は自営でバリバリ楽しく働いています。
甥っ子、お父ちゃんより賢かった?(単純に我がままで忍耐力がなかっただけという可能性も大いにありますけど)
いずれも、頑張っていれば何とかなった可能性は無きにしも非ずですが、他にいい手があるのなら、そっちを実行した方が、人生が良くなる可能性があがります。
踏ん張るとは、いいかえれば、同じことに固執して柔軟に対応できない、ということかと思います。間違った方向に能力を投資しても、良い結果が出ません。地震とか津波に対して、踏ん張ってたら、死にます。
それよりも頭を使って「手を打つ」べきですね。どんな手を打てば有効なのかは、考えたり、勉強したり、予行演習で気づいたり、試行錯誤しているうちにわかるとおもいます。打つ手は無限です。
自分で試行錯誤しなくても、先人が成功のためのカリキュラムを用意してくれているのなら、それを取り入れればよいですね。そこに労力や時間を投資するのは、努力です。武術用語でいえば、功夫です。
頭を柔軟に、素直に学んで、踏ん張らないで、正しい努力を続ける、これが達人への道でありましょう。
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