間違った指導を受けた時

太極拳での話ですが、いろいろなことに通ずるのではないかと思いますので、書き留めておこうと思います。

数年前、太極拳の学びを再開した時から、いろんな先生や先輩から学んできました。

最初のうちは、なんでも素直にハイ、ハイ、と聞いておりましたが、私自身の知識が増えて深くなり、技術も向上してくると、おかしいなーということも出てくるのです。

私は常に学ぶ方なので、やっぱり、ハイ、ハイ、と聞いているのですが、腑に落ちん、ということがあるわけです。

腑に落ちなかったことでも、はるか高みにいる素晴らしい先生から学ぶと、ああ!そうだったのか! と、一気に疑問が解消することがあります。

今まで、なんとなく「こうかなー」と思っていた漠然としたイメージが言語化されると、脳みそで理解できるようになりますね。(この言語化というのが、太極拳の場合、かなり難しいことではあります。)

やっぱり良師に学ぶというのが、何より大切なことでありましょう。良師というのは、単に技術が素晴らしいというだけでなく、教え上手というのも大切な要素だと思います。

しかし、それほど高みにいない、というか、長年我流でやってきたような先輩からも指導を受けることはあります。

そんな人からしか学べない、という環境はなかなかの悲劇ですが、私は幸いにも玉石混交の中で学んできましたので、だんだんと、正しいことと、おかしなことの違いがわかってきました。

言っていることが全然間違っている! と思うこともあるのですが、まあ先輩だし、ハイ、ハイ、とききながらも、「それ、違う! 変なこと吹き込んでくるな!」と内心つぶやいていたのです。以前は。

しかし、この頃、私の気持ちも変わってまいりました。

明らかにおかしいと思いながらも、そんなふうに理解している人もいるのだな、というか、たぶん多くの人がそうだろう、という考えになってきました。

それに、教えたがりの人は、言語化が上手で、私が漠然と、「なにか違うなー」と思っていたことを、理論的に説明してくれるのです。

それを聞いたら、「あ、なるほど、こういうふうに誤解されているのか」と、頭でも理解できます。

理解できたところで、「それ、ちゃいまっせ、本当は、こうでこうでこうですわ!」というような反論はせず、やっぱり、ハイ、ハイ、と聞いておくのですけど。

角が立ちますものね。

ぶつからず、角を立てず、相手の力を借りて有利を取るのが太極拳です。

反論はしないのですけど、理解の深まった私がすることといえば、修正して、実技に反映させることです。

「アナタの誤解を正せばこんな感じになりますよ」と思いつつ、動作に反映させていくと、実に私の成果が上がります。

推手の場合は、わかりやすいです。

教えているはずの側のほうが、崩れてばかりになるので…。(本当に上手な先生が、わざと、かかってあげるということはありますが、その違いくらいはわかってきてます。)

決して歯向かっているわけじゃないです。

教えに従い、動作を改善していると、どんどんうまくなっているというふうにも見えます。

先輩にも、「自分の指導に効果があった! なんか思ってた方向と違うけど。」と、喜んでもらえるでしょう。

その先輩自身は、全然向上しないので、悪いなあーと思うのですが、勘がよければ「あれっ、俺の言ってること、違ってた?」と気づいてくれるかもしれません。

やっぱり、メンツがありますので、「あれ、違ってたわー、ごめんごめん」というようなことは言われませんが、言ってることが変わってきたりはします。

もしかしたら、気付きがあったかな? それなら、大変結構なこと、私も嬉しいです。

言葉に出さずに、指導を受けるフリして逆指導ができれば、とっても素敵だと思いますけど、そんな事を考えてるなんてバレたら、とっても気が悪い話なので、黙っときます。

また、こんなことができる相手というのは、条件が限られきますので、常に通用するわけではないと思います。

この人は正しい、この人は変、という判断も、もしかしたら間違えているかもしれません。

ただ、実践して成果があるか、実践して泥沼にハマっていくか、結果で、判断するのが良いと思います。

ちなみに、私が人に教える場合は、なるべく学んできたものをそのまま伝え、間違ったことを伝えていた場合は、「すみません! 先週の内容は、間違いがありました。ただしくはこうでこうでこうです! お詫びして訂正いたします!」と、すぐさま正すように心がけております。(テキストも修正版を作ります)

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