太極拳の蹴り技であり歩法である蹬一跟(陳式以外では蹬脚?)は、太極拳を学びだしてから何度も何度もイメージが塗り替えられてきました。
それが、この段になってまたまた変わりました。
蹴るというイメージ、概念そのものが変わりました。
蹬一跟の「蹬」の意味は、「蹴る」ことではなく、「踏んで登る」ということはいちおう知ってはいましたけど、もっと奥深いところがわかりました。
「跟」は踵(かかと)のことですが、踵ってどこ?ってことを初めて意識しました。踵と聞いて日本人がイメージする部位とは、ちょっと違うのですね。
「腰」(ヤオ)は「腰」(こし)ではなくて、ヘソの周りあたり、という日中言葉の意味の違いに似ています。
「一」は「いっちょうやったろうかい!」という気合の言葉だと思っていたら、「片方」でした。思い込みって怖い。
蹬一跟を、空手や少林寺拳法の蹴りとかキックと同じイメージで考えていると、言葉の意味、本来の意図とは、全然違うことをやっていることになるのです。
これって門派の秘伝? 奥義? それとも支那人の常識?
あらためて思い込み偏見日本武道的一般常識に惑わされていてことに気づいて、ショックを受けた次第です。
というわけで、また套路が変化しました。
勁の方向が変わりました。
歩く動作、蹴る動作に区別がなくなりました。
発力ですばやく動かなくても十分使えることがわかりました。
楊式太極拳も24式も、同じようにやればよかろうと思えました。(私の中では陳式がスタンダードな太極拳という認識です)
推手も変わると思います。足も使ってくる他流派の人にぜひ試してみたいです。
こうなってくると、表演でやっているような、足を高く上げて膝をピーンと伸ばして爪先を鼻の頭につけるような動作って、何じゃらほい、と思えます。
もはや完全に別物なんだなあーと思いましたけど、また来年の大会にエントリーしてます。笑
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