私は、ジャッキーチェンとリー・リンチェイに憧れて、16歳から少林寺拳法をはじめました。高校の少林寺拳法部に入って、大学でも少林寺拳法部でしごかれてました。
20歳ごろから陳式太極拳も学び始め、こちらは2、3年ほど、京都の教室に通いました。(その間、酔拳なんかもちょろっと学びました。)
学校卒業後は少林寺拳法の道場(道院といいます)にボチボチ通い、30歳半ばくらいまで練習してました。けっこう、少林寺歴は長いんです。でも、学生時代ほど情熱的じゃなくなって、3段止まりです。
太極拳は、京都から大阪に戻ってきてからは教室には入らず、套路(とうろ。型みたいなもの)を忘れない程度にボチボチ一人で練習してました。
套路は一人で練習できるので、だいたい毎日1回軽く通すという習慣になってまして、いつしか、少林寺拳法より長く続けております。
(一人でやっていると、形が崩れていても気づかないもので、かなり怪しくなっておりました。YouTubeで陳正雷老師の動画を見つけまして、フォームを修正しながら練習してます。)
私の結婚相手が24式の太極拳を習ってまして、生まれた娘も、妻が通っている教室でカンフー体操を習いだし、私もついでに通うことにしました。
そちらの教室では陳式太極拳は教えてなかったので、楊式太極拳を学んでます。楊式を学ぶことでも、陳式の理解が深まるような気がしてます。
さらに日曜日には公園で練習している推手な人々に仲間入りさせてもらって、今に至っております。(推手は楊式と呉式)
少林寺拳法と太極拳は似ているが練習方法が全然違う
私は少林寺拳法を先にやっておりましたので、太極拳の練習方法には、大変違和感を感じました。
少林寺拳法に入門したら、まず目打ちと金的蹴りの練習をしまして、そのあと、突きと蹴りの練習をします。
それができたら、というか、あんまりできてなくても、二人相対になって、突いてきたらよけて蹴り返す、蹴ってきたら受けて返す、つかんできたら抜いて打つ、または関節を決める、というふうに、技の練習に進みます。
少林寺拳法では、「内受突」とか、「小手巻き返し」というふうに、一つの技に一つの名前がついております。イメージしやすいわかり易い名前ですね。(宗道臣開祖が日本で教えやすいように、名前をつけて体系だてたらしいです。)
少林寺拳法にも型はありますが(法形という)、昇段試験に出るから一応やっとこか、くらいのノリでして、その型というのも、相対の技をつないだものを一人でやってるだけ、という感じのものです。
少林寺拳法は、相対での技の練習を重視しているかんじですね。
それに対して、太極拳の練習って、基本的な立ち方や歩き方のあとは、ひたすら套路です。
套路というのは型のことですが、技をつないだというものではないです。技じゃなくて、体の動かし方、身法を連続させたものになっています。
一つ一つの動きに名前はついていますが、動きを抽象的に表した名前になっているものが多いです。「単鞭」とか「雲手」とか。
その動きが、どういう技になるのかという説明は、あんまりなくて、私はものすごく理解に苦しみました。
それで最初は、みんな健康体操でやっているから、実戦での使い方は知らないんだな、くらいに思って、ひそかにバカにしておりました。でも違うんですね。
いちおう、用法として、こんなふうに使える、という解説はあるんですが、少林寺拳法の技のように、敵が右手で突いてきたのを右手で上に受けて、右足で横っ腹を蹴っ飛ばす、それが上受蹴、みたいに限定されたものじゃないのです。
太極拳は、この動作なら相手の手を引っ張りながら顔を打つという風にも使えるし、肘で打っている意味もあるし、実は体当たりでもある、というかんじ。
一つの体の使い方が、相手に合わせて受けにもなるし反撃にもなるし、すべて応用なのです。套路は武術的な体の使い方を、反復練習で体と脳みそに刷り込んでいく練習法なのです。
これ、なかなかわからなかったです。
少林寺拳法風の指導に慣れた人には、理解しがたい世界だと思います。他の武道はあんまり知らないですけど(小学生中学生の時は剣道をやってましたけど)、技に名前をつけている武道をやっている人なら、そう思うんじゃないですかねえ。
少林寺拳法だと、すぐに使える技なので最初から面白く学べます。関節をこう取ってこうひねれば、くるりんと裏返せるよ、という練習は、とっても楽しいです。突き蹴りをパシパシっと受けて返すのも快感ですね。
しかし、実際の乱取りの時はそんな練習通りに攻撃が来るはずもなく、意外と実戦的じゃなかったりします。
決められた動きで覚えてしまっているので、応用が効きにくいんです。
普段は技の練習をしているのに、乱取り大会になると、たちまちボクシングか極真か、みたいな動きになる人も多かったです。
太極拳だと、套路の順番を思い出しながら動いているうちは、体操みたいなものなので、相手が攻撃してきたとしても、どう動いてよいのやらもわかりません。受け方も返し方も教えてもらいませんものね。
ケンカになったら、何にも反応できず、ボコスカ殴られて終わりです。
ところが、套路の動きが身について自然に体が動くようになり、さらに推手の練習で相手の動きに反応できるようになると、技が出るようになるみたいです。
推手が上手な人って、何か技をかけているという感じでもないのに、ちょいとした微妙な動きで、相手をすっ転ばしたりできます。相手の動きに応じて、力の方向を変えたり跳ね返したりしているだけだからです。
私は太極拳を学ぶことで、少林寺拳法の技、とくに関節技の柔法はやりやすくなりました。
両方やってきて感じたんですけど、少林寺拳法の練習方法は、体の基本的な使い方の練習を飛ばしているように思います。
学校のクラブなどでは、何年も基本功ばっかりやってても面白くもないし、技を楽しむ段階に至るまでに卒業、なんてことになったら部員や練習生が入ってこないですね。
ホントは映画の少林寺三六房みたいに、桶を両手にもって歩いたり、水に浮かべた丸太の上を飛び渡ったりという修業が必要なのでありましょう。
私も、関節技がなかなかかからなかったのは、体全体の使い方ができてないのに、力任せに手をこねくり回していたからだなあ、と思います。
上手な人は、「こうすんねん。」と見本を見せて教えてはくれますが、ご自分の体験でつかんだコツは、口では説明し難いんですよね。説明される方は、小手先ばっかり見て、手の角度とか、足の位置とか、そこだけ真似しようとして上手くいかないものでした。
(私が学生時代は、コンピューターグラフィックで体の動きを分析しようという試みがありまして、おお、最先端、すげえ!と思いましたが、あれを見て上手になった人いるのかな?)
手先の動きを体全体の動き、相手の動きに合わせるようになるには、試行錯誤のけっこうな修練が必要です。
太極拳では、体重移動はこう、上体はまっすぐ、手の力は抜く、重心は沈める、というふうに、学び始めは、体の使い方ばっかりいいます。それがどうした、ケンカで使えるのか? という気はするでしょうが、実戦で使えるのは、ずっと先の話になることでしょう。
あまりに時間がかかるので、戦闘目的の人は途中で投げ出してしまって、健康目的の人だけが残ってしまうような気がします。
しかし、実際のシーンでは、もしかすると太極拳のほうが使いやすいんじゃないかという気はします。
実際の乱闘になったら、ケガをさせずに相手を制することができると謳っている少林寺拳法のほうが、血を見ると思います。(というか、見てきました。)
技を活かそうとしても、若さに任せてガムシャラにぶん殴ってしまいますよ。突きの練習なんかしてると。
どっちにしても、頂点に至ると同じ世界が見えるんだろうとは思いますが、年季がいりますね。
焦らず腐らず諦めず、ぼちぼち修練いたしましょう。(これは私の少林寺拳法の師匠がよくいっていた言葉。)
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