畜勁の時に息を吸って、発勁の時に息を吐く、というのが、太極拳のセオリーだと考えていたのですが、吸ったほうがしっくりくる動作があるなあと感じることがあり、いやいや勘違いだろうと思ったりしていましたが、いやいややっぱり、そういうことはある! という確信に至りました。
検証期間は、1年ほどでしたかねえ?
掩手肱拳のような沈みながら打つ動作って、吐くのに合わせるのが自然だと思います。
しかし、浮き上がりながら打つ動作は、吸って行うほうが、なんだかピタッとハマるように思うのです。
白鵞亮翅、擦脚、金鶏独立、擺脚、旋風脚、猿猴探果などです。
套路では、完全にそのように感じます。
推手のときはどうだか、よくわかりません。推手をしているときは、套路の形を使っているような意識はなくて、呼吸がどうだったかなんて、全然、気にしておりませんね。検証しておりません。
しかし、発勁では息を吐く、というのは、絶対ではないと思うようになりました。
吸って打つ感覚も必要ではないかと思います。
自分が、打たれて投げられるときも、吸ったほうが整うようにも思います。
打たれて跳ね返すときは、吐いたほうがいいように感じます。
しかし、どの時どのシチュエーションで、吸うか吐くか?なんていちいち考えておれませんし、意識もしておれません。
あれこれ検証してますが、結局は、自然にそうなるものだと思います。いわゆる逆腹式呼吸なんかもそうですね。
また、自然に、そのように動くほどに修練が必要だとも思います。
幸いなことに、検証のための試験台というか、実験に付き合ってくれる人には恵まれているので、さらに深く考察し、作成中の太極拳テキストに、反映させていきたいと考えております。
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