推手の前提

このごろ私も余裕が出てきて、推手の相手が、隙だらけやなあーとか、思えることがちょいちょい出てきました。

前にも書きましたけど、顔面ガラ空きとか、股間おおっぴろげとか。

両足で踏ん張って押してくる人に対して、片足がフリーな私。金的がちょうど蹴りやすい位置で、平気でとどまり続けていたりします。

警告のため、内股に軽くポフポフと足を当ててみたりするんですけど、気づかれません。

お前はすでに死んでいる! と言いたくなります。

私に隙がないかといえば、そんなことはなくて、頭突きとか肘打ち、危うくくらうところだった、やべえやべえと思うときはあります。

安田先生に、刀を首筋にピタッと付けられたときは、本当に冷や汗が出ました。(表演用の模造刀でしたが。)

他武道の人の突きが横っ腹に刺さって、今、やられたなあ、ということもありました。軽く押すようにやってくれるのでダメージはありませんが、本気なら肋骨が折れてます。

私はヒットされたら、危なかった! と反省し、次は注意するようにしております。(サバゲーみたいに「ヒット!」と叫びはしませんけど。)

しかし、どうも太極拳学習者の多くは、そういう意識に欠けている、というか全然ないような気がします。

推手をしている人であっても、勁が、気が、纏絲が…とかいっておりますが、ゲンコツで殴るとか、足で蹴るとか、小学生でもやりそうな単純な攻撃に対応できないというのは、そもそも武術として、成り立っておりませんね。

これは、基本をすっ飛ばして、套路の形から入って、次に実用練習として推手もやってみようという、そういった解釈で進んでこられたからだと思います。

私は違ってまして、太極拳を習い始める前は、少林寺拳法で、殴り合い、蹴り合いをしておりました。

目が悪いというのは言い訳ですけど、飛んでくるパンチ・キックがよく見えず、さばききれず、いつもボカスカ殴られておりました。

パンチを避けるなんて、無理! 少林寺の法形は幻想! と思っておりました。

それが、太極拳の推手だと、はじめから相手と手が接触しております。パンチを抑え込むことができて、殴られずにすみます。おおっ! こりゃいいや! と思ったのが、推手に対する印象でした。

学生時代の少林寺拳法の乱取りでは、そんなふうに粘着しようとしても、パッと飛び退かれて、間合いを取られてしまい、役に立つほどまでは使えなかったのですけど。足運びも、纏絲も全然理解できていなかった頃です。

肉弾戦は、殴る蹴るがあって、掴む、引っ張る、押し倒すという風に、進んでいくものだと思います。(口論とか武器とかは別として)

太極拳の技術は、殴られない、蹴られない、掴まれても引っ張られもせず、押し倒されもせず、非力な者でも、なんとかできる、というところを目指していると思います。

そのためのメカニズムが、纏絲だったり歩法だったりすると思うのですが、最初の前提がわかっていないと、上達は難しいのではなかろうか?

ということで、ウチの娘とは、パンチ、キックの応酬なんかも練習しておりまして、時々不意打ちのビンタを喰らいます。

父をビンタする娘って…

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