推手と套路

ここのところ、朝晩、套路練習をみっちりやりこむ日々でした。コロナでお出かけの機会が減ってましたから…

とくに最近は、金剛搗碓がすべての基本だということを安田先生から学びまして、それを相当に意識して練習をしておりました。

コロナ期間に、かなり良くなってきたと思います。我ながら。

ペットボトルを頭に載せ、足跡を残さず套路ができるようになってきましたし。

緊急事態宣言も解除され、ひさしぶりにおおっぴらに推手もできるようになり、地元の、いつもの先生方に推手のお相手をしていただきました。

先生側から見ると、いままでは、未熟者の鍛錬に付き合って、ときどきは教えてあげる、たまには自分の研鑽のために思い切りやらせてみる、調子に乗ってきたらぶっ飛ばす、というかんじのポジションに置かれていたような気がするのですが、きょうはなんだか、いい感じだぞ! と、感覚が違っておりました。

心がけていたのは、套路の通りに動いてみる、つねに金剛搗碓が体の中心にある、ということです。この意識があると、そうかんたんに足を地面から抜かれなくなり、自分から突っ込んでいったり、すっとんだりするようなこともなくなってきました。

いいようにアシラワれるばかりだったのが、こちらが順を取れて先生が背になる瞬間ができたりして、ちょっと、本当に推手っぽくなってきたように思います。

先生方の遊び相手のレベルに、なんとか引っかかっている、というところから、ちょっと足元に及んできた?? という手応えを感じつつあります。

まあ、まだまだですけど。

いままでは、推手をするときに、こう来たらどう反応しようとか、捻じりすぎてはいけないとか、肩をあげないとか、膝が爪先より前に出た、とか、部分部分の対策に囚われすぎていたような気がします。

相手が変わって、推手のタイプが変わると、まったく対応できなかったりもしましたし。

しかし、正しい套路の形の通りに動くのだと心がけると、あんまり些末なところに気を回さなくても、うまくできるような気がしてきました。

相手が楊式でも呉式でも24式でも、または力ずくの無茶苦茶でも、学び続けてきた陳式套路の通りにやる。勝ち負けは意識しない!

そもそも、武術なのですから、相手に応じて対策を変える、なんていうのは現実的でない話です。通り魔から身を守るのに、あらかじめ敵の情報収集をできているはずもないし。

相手がどうだろうと、ただ自分はこうある、というだけで用が足せるのが、太極拳の凄いところだと信じております。

初めての状況でも、自分の最高パフォーマンスを発揮するための訓練が套路であり、その確認のための練習が推手なんだなあと、実感してきました。

日々進化の実感があるのは、楽しいことです。

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