套路は方程式?

こんなことを言い出すのは、身の程知らずのような気もするのですが、推手をしていると、おもいもかけず、キチッと型にはまるということを、ちょいちょいと体験できるようになってきました。

頭でどうしようこうしようと考えるより先に、体が動いて、あとで「おっ、今のは青龍出水!?」とか、「思いもかけず高探馬!?」とか。

こういうのって、自分の才覚で、勝ちを得た、というかんじじゃないのです。

たとえるならば、小学校の算数の問題を、中学校で習う方程式を使って解いてしまった、というかんじなのです。

自力で、足し算と引き算と掛け算と割り算を駆使して、ついでに図も描いて、問題用紙の裏面を鉛筆で真っ黒けにしているうちに何かひらめいて、難問を解いた! というのではなくて、「ああ、すみません、みんなまだ習ってない方程式を使って、とっとと解いてしまいました。かたじけない。」という感覚なのです。

禁断の方程式を使って、本来は45分くらいかかるテストを、3分で終わらしてしまって、ああ、時間が余ったなあ、という感覚です。

その方程式を作ったのは、古の天才なわけで、自分自身は、先人の発明を使っただけです。

私は、なにも頑張っておりません。かたじけない。

しかし、伝統武術というものは、そういうものでしょうね。

努力は必要ですが、ムキムキの力持ちになるとか、自分でなにか編みだすというような努力じゃなくて、先人が積み上げてきた技術と理論を素直に学んで、体に覚え込ませる、という根気が必要なだけです。

そこは一朝一夕で身につくものではありませんが、ノーベル賞を取るような、先も見えないような努力じゃありません。

先人のたどった道をなぞっているだけのことで、私はまだ、創意工夫をするという段階には、至っておりません。

というか、自分が新しい方程式を作るようなレベルになれるとは、到底思えません。

先人が積み重ねてきた伝統武術の、山の何合目までたどり着けるのかなあーという期待があるのみです。

そんな感じなので、他の人が、あれこれ自分なりに研究したり、試行錯誤しているのを見ると、回り道しているなあーと思えてなりません。

推手をしていて、相手の自由工作みたいな工夫が、私の、セオリー通りの太極拳であっさり崩れてしまうと、私だけ、ズルしてて、ごめん! という気分にさえなります。

その工夫の元となっているのが、思い込みや勘違いだったりしたら、なんか、アドバイスしてあげたい気にもなりますが、そういう人に限って、自信満々で上から目線だったりするし、角が立たないよう、合わせておくのみです。

これも、私自身が、あれこれ回り道してきたからそう思えるのかもしれないです。おんなじような事をしてきたなあ、という思いもあります。

初心者の人が、素直に受け取ってくれれば、伝えやすいので、最近は、ちょこちょこ数人の人には伝えたりしています。

でも、私自身、四両發千斤とか、引進落空を感じられるほどのレベルでもないので、今まで学んできたことをそのまま伝えるだけです。

上達のためには、素直に学んで、信じて、ひたすら修行を積み重ねることが、大事ですね。

そのうえで、最も必要なのは、その遠大な道のりを導いてくれる、師でありましょう。

ちゃんと、方程式を教えてくれる、ロードマップを示してくれる、先生です。

独学は道を見誤りやすいです。迷走します。下手したら、永遠に本道に合流できません。

それほど長くもない人生、人生の終わりまでに、武術を深淵を覗くためには、良い師に巡り合うことが大切だと思います。

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