娘がミッション系の小学校に通っておりまして、クリスマスの前には、待降節の劇や歌もあります。待降節というのは、イエス・キリストの誕生日、すなわちクリスマスまでの何週間か、毎週、聖書にまつわる劇などが行われるキリスト教のイベントのことです。
クリスマスパーティー! イエーィ! といったノリではなくて、厳かなお祈りであります。
(ちなみにキリストの時代は、一日の始まりを日の入りから数えたので、クリスマスイブというのは、前日じゃなくて、もう当日だったらしいです。)
子どもたちが、賛美歌を歌って、羊飼いだとかマリア様に扮して劇をしているのを、保護者も参観できました。私はキリスト教徒ではありませんが、敬虔な気持ちになれました。
クリスマスといえば、プレゼントは任天堂Switch! とか、パーティーでオールナイトフィーバー! とか、ラブホテル満室! とか、翌日はケーキ半額! とかは、やはり違っておりますね。
静かに祈るのが本来あるべき姿でありましょう。
目次
保護者のための聖書講座
小学校では、普段から、保護者のための聖書講座がありまして、私も受講しております。先日、全5回の講座が終了いたしました。
旧約聖書から、新約聖書まで、理解がけっこう深まりました。
いろいろなところで断片的に、ちらちら聖書を読んだり、たまに一節だけを聞いたりしているだけだと、聖書ってよくわかりませんが、順序よく、ちゃんとお話を聞くと、よくわかりますし、身近なものとして感じることができますね。
新約聖書でいえば、処女受胎のマリアは、当時の律法では、石打ちの刑(死刑)になるところであったとか、イエス・キリストが生まれた馬小屋というのは、出産の環境としては、劣悪な環境だったとか、いわれてみれば、そうだよなあと思うのですが、お話を聞くまでは、なんとなくメルヘンチックなイメージを持っていたのです。天使がぴよぴよと飛んでるとか、可愛い赤ちゃんが生まれて、馬も喜んでいるとか。
お話がすべて、実際の出来事で、みんな実在の人物だと考えたら、相当な苦難の連続です。
劣悪な環境の中で生まれて、最後は犯罪人として衆人環境の中で死刑、弟子たちもみんな裏切って逃げるという悲しさです。イエス・キリストの活動した期間は、そんなに長くもなく、よくまあ世界三大宗教となりえたものだなあと思った次第です。
一度は逃げた弟子たちが、キリスト亡き後、頑張って教えを広めたからだそうですが。
しかし、キリスト教も最初のところから学ぶと、仏教でもそうですが、根本的な教えは、普遍的なもので、道徳的なもので、生き方を説いたものですね。
長い時間をかけて世界中に広がっていく中で、当初の教えから変わっていったり拡大解釈されたり偏向報道されたりで、政治の道具になったり戦争の言い訳に使われたりして、変なイメージで信じ込まれてしまうこともあったんじゃなかろうかと思いました。
子供に宗教教育が必要だと思う理由
子どもたちも、宗教はキチンと学ぶべきだと思うのです。
一番根本的な思想だけでいいと思うのですけど、世間に染み付いているイメージじゃなくて、教祖や開祖がその時代に説いていた教えですね。(あるていど時代背景を知る必要もあろうかとは思いますが)
通常の公立学校の義務教育では、歴史の授業などで、情報として宗教を学ぶことはあろうかと思いますが、その中身までは教えないですよね。私も習った覚えがありません。
もともと、日本は神道と仏教の国だったわけですが、戦後GHQが学校教育で宗教に触れるのを禁止してしまいました。(道徳や武道、正しい歴史も。)
ですので、私も子供の頃、初詣とか七五三にお宮参りはしても、イザナギノミコトも知らなかったし、家は浄土真宗だとは聞いていても、法事のときになんまいだぶと言うという以上の知識もなかったです。
キリスト教といえば、アーメンソーメンワンタン麺のイメージでした。(冷ソーメンだったかな?)
日本人は宗教に寛容とはいっても、現代では、受け入れているのは形だけのことであって、中身はわかってないですね。
私は高校生の時に少林寺拳法を学びだし、お釈迦様の教えを知りました。それから仏教に興味が湧いて、手塚治虫の「ブッダ」を読んだり、大学で原始仏教の講義を受けたりしてました。キリスト教もシュバイツァー博士のなんとかかんとか言う授業をとったりして勉強し始めたのです。
おかげで、本質っぽいところが見えてきて、違うもの、へんてこなものの見分けもつくようになってきました。
一人暮らしの大学生には、エホバの証人やら統一原理教会やら創価学会やらが勧誘に来たものですが、どうも宗教の本質とは違うぞ、と判断力が働いたもので、深みにはハマりませんでした。
私の中で宗教とは、頭を空っぽにして無闇に信じ込むものではなく、生き方の指標とすべき原理原則です。お釈迦様も、私を信じずに、自分で正しく見て正しく考えなさいと言ってますし。
宗教教育を全く受けていない純粋な(?)学生、逆に悪いイメージをもって「宗教怖い! うさんくさい!」と拒絶反応を示す学生ほど、巧みな言葉に転がされて、怪しい団体には絡め取られてしまっていたように見えます。(けっして、創価学会が怪しい団体だと言っているわけではありません。)
宗教なんて馬鹿らしいとか怪しいという意識付けで育てられた子供ほど、将来、エセ宗教にやられると思います。(けっしてエホバや統一原理がエセだと言っているわけではありません。)
うちの娘は、ラッキーなことにちゃんとしたキリスト教に触れられる環境に入り込めましたが、仏教や日本の神道も教えていこうと思います。
神道は私も詳しくないので、一緒に勉強するつもりで、天照大神やらヤマトタケルノミコトを絵本で読んでおります。
仏教は、子供に説明するのはなかなか難しいような気もしておりますが、まあ、おいおいと。
キリストの教えに反するものでもないし、ちゃんと伝えれば受け入れられると思います。
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