いつもの推手道場で、いつもの先輩と推手を練習してました。
先輩との勁力の詰め合いは、なんだか詰め将棋みたいなもので、もはや私の連戦連勝です。
微細な勁のやり取りでは、ラチアカンと思われたのか、先輩は両手で私の片手をガシッと掴んで、突進したり、振り回したりされ始めました。
おおー?、これまでの内勁を高める努力を放棄するのですか??と思いつつ、まあ、いいや、実験台になっていただきましょう。町中の乱闘は、こっちの方が近いだろうしと思って、私も推手の限定を解除しました。
しかし、こうなると技術もへったくれもないのです。
手を伸ばせば顔を打てるし、足のあげれば、そこに金的があります。
振り回されれば、それにしたがい、掌でも金的を打てるし、胴体に拳を打ち込むのも簡単です。
顔は寸止め、胴体には軽くパフッと、金的はずらして太ももの内側を、10連発くらい打ってみました。
ただ打つだけ。当て放題です。
でも、先輩、打たれていることに気づかないのです。
ゼーゼー、ハーハー、いい勝負であった、これは散手やなあ、とか言っておられまして、いやいや…そんなええもんではないですねえ、と思いつつ、まあ、片手を封じられていても、10連発は当てられると自信がつきました。
しかし、先輩は、いつも道場でサンドバッグを蹴り浮かし、ゼロ距離から打って振り子みたいに揺らして遊んでいる私を見ておられるはずですが、打たれることに危機意識を持たないのかなあ?
普通、打たれたらヤバい!と思うと思うなあ。
本当に打ちはすまいと、安心しきっているのかなあ。
日本の海にミサイルを撃ち込まれても、ボーッとしている日本政府みたいなもんでしょうか。
金的を外して当てるのは、少林寺拳法部時代よくやってましたが、時々竿の先っちょを掠めたりして、とても痛かった思い出があります。
私は、金的蹴りに対しては、もう本能レベルで拒否反応がでますね。
先輩のあとは、いつものN先生に相手していただきました。
さすがはN先生、特に蹴りを警戒している様子もありませんが、私に蹴りを出させるような体勢をとらせてはくれません。
先生はいつもどおり、普通にユックリ動いているだけですが、私は、蹴りなんて全然使えないままま、飛ばされたり、後ろをとられたりします。
これでもずいぶん投げられなくなったし、たまに先生を少し浮かせることもこともできてきましたが、まだまだレベルの差は大きいと思います。
先輩に関しては、レベルの問題ではなくて、目指している方向性の違いのような気がしてきました。
私は、ちゃんと伝統的な太極拳の道のりを、焦らず、腐らず、諦めず、ぼちぼち精進して参る所存です。
ちなみに道場でも、初心者レベルの人には、実験したりせず、理解しやすいように丁寧に、期待以上の気づきがあるように、工夫してレクチャーしております。
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