道場でクリスマスプレゼントをいただいた後、午後は忘年会があったのですが、私は先約があってそちらは欠席。ずいぶん盛り上がっていたようで参加できず残念でした。
先約というのは、老人ホームでのイベントのボランティアだったのです。
妻のピアノの先生と歌の先生と、他の生徒さんと妻と私の5人で、音楽会をさせていただきました。
コロナで中断があったので、3年ぶりです。いまだにスタッフの皆様はマスク着用ですが、お年寄りの利用者様方は、マスクなし。へんなかんじ。
音楽会は一時間ほど、なかなか盛り上がりました。
オペラでは、ブラボー!と声が飛び、クリスマスメドレーでは、演奏が終わっても客席の歌が終わらず、伴奏が後を追いかけたり、認知症の方もだいぶんおられたと思いますけど、楽しんでもらえたようで良かったです。
私は、妻の歌のギター伴奏2曲と、ギターソロ1曲、沖縄民謡を3曲、三線を弾きながら歌わせていただきました。なかなか手ごたえがあり、こちらも楽しめました。
ところで、音楽の達人について、考察してみました。
私は音楽はボチボチで、イベントの前にちょろっと練習、という感じですけど、先生方って、大勢の生徒さんの伴奏もされますので、日頃なんでもかんでも人に合わせて、大量にこなされています。
沖縄民謡の名人も、かつてエイサーの地方(じかた)として、ひたすら歌や踊りの伴奏に徹しておられた人が多いようです。
フラメンコギターもそうですね。歌と踊りの陰でひたすらラスゲアードです。
自己主張無しで人に合わせ続けるという職人的な活動を、ずーっとやってきた中で、独自の工夫を加える段になり、名人なり達人なりの境地にたどり着いたのだと思います。
そういう段階を経ず、作品を作っては発表、自己主張を続けるというのはアーティストですね。
アーチストは人に合わせていたらダメで、新しいものをどんどん作る人です。アーティストは我儘の塊です。見る人聴く人を置いてけぼりにして、最先端を突っ走ります。ようやく観衆聴衆が追いつくのは作家の死後、みたいな世界です。
だから、アーティストには「達人」という言葉は使わず、「天才」というのでしょう。音楽も現代音楽家なんかは「達人」じゃなくて「天才」だと思いますけど、演奏者は「天才」ではなくて「達人」ではないかなあ。
武術のイメージは、「天才」じゃなくて「達人」でしょうね。新たな理論で新流派を作った天才みたいな先人もおられたでしょうけど、そこは私の目指すところじゃないなあ。
職人的達人を狙いたいと思っております。
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