太極拳 学びの変化

表演大会に出るからといって特に表演用の動作を習ったわけでもなく、表演大会で一等賞を取ったからといって練習内容が変わるわけでもなく、やはりこれまでの延長線で、老架式と新架式の最初の一段目あたりを徹底的に学んでおります。

呼吸で合わせるとか、体の中身の動きとか、内容はどんどん深く濃くなっております。老架式、新架式、小架式、各種器械との繋がりなんかも教えてもらって、古から現代に至るまでの変化や進化までも体で感じております。

いやー、こんなの初めて聞いたなあ~と思ったら、実はだいぶ前に自分でテキストに書いていたりして、あらっ忘れてたのね! ということも結構あります。

前に習ったときはそこまで深い理解ができていなかったのに、この度改めて分かった! ということが多々あるのです。

同じことを習っても、理解がどんどん深くなってきています。そんなに重要だと思ってなかったことが、とても大切なことだと思えてきます。

スパッ、スパッとした発勁動作が、気づけばアタリマエになっています。フン、ハッ、という呼吸も、いつのまにか普通になってました。この発勁、呼吸はいったいどういうものなのだろうと、本やネットで調べていたことがバカみたいです。

やってるうちにできるようになるんですね。しらんうちに。

体全体の繋がり感はどんどん強くなっており、自然との一体感もボチボチと感じ始めてきました。

歴代の伝承者が練り上げて、現代まで伝えられてきた太極拳の深淵さに対する畏敬の念は、益々高まっております。

その歴史の糸の端っこが、安田先生からちょろっと私の目の前に垂らされて、私はそれを一生懸命掴んで手繰り寄せて、ぶら下がろうとしているのであります。

芥川龍之介蜘蛛の糸の犍陀多みたいに、邪な心を起こせば、プチッと切れそうな恐怖感があります。

楽に身につけたいとか、ウンチク垂れてエエカッコしたいとか、銭儲けに利用したいとか、大会常勝を狙いたいとか、人のマウント取りたいとか、そういう気持ちは、おそらく武芸の習得には邪魔であろうと思えます。

そんな気持ちが出た途端、プチッと糸が切れて血の池地獄へ後戻り、地獄と表現するのはひどいですが、武術なんだかスポーツなんだかパフォーマンスなんだか体操なんだか神秘の気功なんだか、よくわからない混沌とした世界にハマってしまうように思えます。

そんな細い糸じゃなくて、古人から子々孫々まで連綿脈々と繋がる堅牢なチェーンの一つのパーツであろうという気持ちで、我欲を捨てて、素直に学んで修練に励む心持が、上達の秘訣、達人への道じゃないかなあと思えてきました。

まあ、思っただけで、ほんとはエエカッコしたいし、マウント取りに来てた連中をギャフンと言わせたいとか、我欲にまみれてはおるのですけど…。

ま、とりあえず一生かけて、太極拳を追及してまいる所存であります。あと100年くらいは生きるつもり。

コメント

  1. 60代おやじ より:

    「やってるうちにできるようになるんですね。しらんうちに。」

    肝に銘じて精進します。

    • パパだよ より:

      おやじさま、ありがとうございます。

      精進してくださいませ。

      ところで、「肝に銘じる」って「心に刻む」という意味だったのですね。

      よく聞く言葉ですが、私自身はあまり使うことがないなあと思って調べてみました。

      ちょっと賢くなりました。

  2. HM より:

    邪な心にまみれている者です。基本功の大切さをドラゴンさんから学んでいるのに、薄っぺらいところで挑んでいる、本気本腰で深い理解と体に落とし込む自分でありたいです。

    • パパだよ より:

      HMさまありがとうございます。
      ドラゴンこと50代パパです。
      心の正邪はさておき、どんだけ時間をかけられるかですねー。