気沈丹田? 気の感覚?

東の空は雲が垂れ込み、西を向いたら月が見えました。

そんなわけで、日の出ではなく月の入りを眺めながら站樁功。

お月様の影響があったのか、新しい感覚を得ました。

ユラユラと螺旋の揺らぎを感じていると、体の中に、ぼんやりした雲の塊みたいなのを感じたのです。

なんとなく丸いけれども、はっきりした形はなく、気体のようで、フワフワした固まり感があり、浮いているようで沈んでいる、大気よりかは少しだけ重い、といったものです。

目には見えないですが、白いイメージ。

それが、螺旋の揺らぎにのって、体の中を浮いて遊ぶのです。

上にいこうと思えば頭のところまで昇るし、下がろうと思えば足のところまで沈められるし、螺旋の揺らぎとバランスを取り合いながら、自在に動ける感じ。

なんとなく楽しいので、站樁功で遊んでおりました。

このフワフワの塊は、お腹あたりに収まった時が、いちばんしっくりと落ち着く感じがあります。

もしかすると、この感覚を、昔の人は「気沈丹田」と呼んだのではなかろうか?

ということは、フワフワの塊が「気」?

その感覚が消えないうちにと思って、套路を通してみました。

いつも感じている纏絲の感覚とは、また違っております。纏絲のつながっている回路にそって、自在に体中を移動する感じ。纏絲の勁と一致しているようであり、別の動きで、反対側を補っているようでもあります。

定式で動きを止めていても、フワフワの塊はじっとしておらず、いいかんじで陰陽のバランスを整えてくれているようです。呼吸とも連動しています。

一路、二路とユックリ通しているうちに、だんだん「気」の感覚はアヤフヤになってきました。纏絲の勁と合致していったのであろうか?

これまでの経験によると、たぶんこの感覚は、当たり前になって、意識しなくなると思います。そして、この感覚がなかった時の感覚を思い出せなくなります。

今後あらためて書こうとする気持ちがなくなるかもしれませんので、成長記録ということで、今、書き残しておきます。

勘違いの思い込みかもしれませんが、また一歩、達人に近づいた! ような気がするようなしないような…

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