百田尚樹「風の中のマリア」感想レビュー

手塚治虫の漫画に「やけっぱちのマリア」っていうのがありましたが、こちらのマリアは蜂です。蜂といえば「みなしごハッチ」や「みつばちマーヤの冒険」のアニメを子供の頃に見ていましたが、どういう話だったか忘れました。

「風の中のマリア」に登場するのは主に昆虫です。しかし、メルヘンチックでファンタジックな童話とは、やや雰囲気が違ってました。

マリアは蜂のなかでも最強最凶のオオスズメバチの、戦闘員なのです。

舞台は、はっきりとは書かれていませんが、日本のどこかです。オオスズメバチって、古代より日本にいたのですね。

蜂の生態って、私はあんまり詳しくなかったのですが、オオスズメバチは、大家族が一つの巣に住んでいるそうです。全員メスです。卵を産むのは女王だけですので、母以外は全員姉妹ということになります。

終盤でオスが誕生したり、女王バチが入れ替わったりして、遺伝とかの理科の授業で出てくるような話が、アカデミックに説明されます。童話っぽくないところです。

スズメバチは最初は、女王バチがひとりで巣を作り、子を育てますが、人員が増えてくると、女王バチをトップとして、建築部隊とか、保育部隊とか、狩り部隊とか防衛部隊とかの大組織になります。物語では帝国と呼ばれています。

スズメバチの場合は、退役軍人が子守に回ったりと役割は流動的のようですが、マリアは、生涯、狩り担当の戦闘員です。

物語は、マリアが狩りに出はじめた少女時代から、老兵として消えゆくまでの生涯を通じて、帝国の繁栄と衰退、次の帝国への交代などが描かれます。女王バチの物語は壮大で、まるでスターウォーズのようです。

獲物を狙って襲撃、戦闘の描写はとてもスリリングで、犠牲となった仲間を「未帰還」と表現するあたり、「永遠のゼロ」を彷彿とさせます。

上空から、下界の自然を望む描写とか、地表近くを飛び回っているシーンなど、宮崎駿のアニメを見ているようでした。

さて、この物語、なにを伝えたかったのかと考えると、生存の厳しさ、個と全体、命をつなぐということじゃないかなあと思いました。

狩りに出撃すれば、その日、自分が未帰還となり死ぬかもしれません。

狩られる方も必死です。襲撃されて防衛に失敗すれば、巣が丸ごと全滅です。

マリアの帝国と同じように、苦労して築いてきた一族が、戦争に負ければ、女王から蛹や卵まで虐殺され、肉団子にされ、餌になります。

お互いに、恨みはありません。生存のために、子孫の繁栄のために、それぞれのお役に努めているだけです。任務のためには、自分の命はいつでも犠牲にできる覚悟があります。

マリアの姉妹たちも、相手側も、みな自分の帝国のために必死で生きて、死にます。

帝国とは、女王バチのことではなく、一族と、子孫のことです。昆虫の世界、全体のために個は存在しているのですね。一族の将来の為なら、「偉大なる母」である、自分の女王も殺し、排除します。女王も喜んで殺されるのです。

女王バチ以外は、ワーカーと呼ばれますが、ワーカーは恋もせず、子も産まず、何のために生まれてきたのかなあと、マリアも悩んだりするのですが、いやいや、自分の生きる道はこれだ!とお役を全うします。

みんなそうやって生きて死んでを繰り返し、種が未来に続いていきます。私だけが、金儲けして、ええもん食って、長生きしたい、というのはこの世界ではありえず、ひとりの命は地球より重い、ってこともないのです。

武士道と云うは死ぬ事と見付けたり! ってかんじです。物語に武士道なんて言葉は出てきませんけど、私はそういう風に感じました。

戦争中の日本人も、このようなものではなかったかなあと思います。

永遠のゼロを読んだ時もそう思いましたけど、自分自身の幸福よりも、家族や、天皇中心とした家族ともいえる日本民族の未来の幸福を優先し、そのために自分自身が犠牲になっても、それは喜びとしよう、という感覚があったのであろうと思いました。

今の世はどうでしょうね。

他の連中やら、将来の日本がどうなろうと、知ったこっちゃない、やばくなったら、金持って逃げるで! 国籍でも何でも変えて、長生きするで! という思想の人も多いのではないでしょうか。

私も150年は生きるつもりですが、世界人類の幸福に寄与するために自分の犠牲が必要だ! と思えれば、喜んで我が命を捧げます。

…たぶん捧げると思います。

捧げるんじゃないかな…。

ま、ちょっと覚悟しておこ…

>>風の中のマリア|百田尚樹

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