故安倍晋三元首相が読んで感動したと言われる百田尚樹著「影法師」を読んでみました。
感動しました!
安倍元首相がこの物語が好きだと話されていたということと、安倍元首相が亡くなられる最後まで日本のための活動されていたことが重なるようで、それもまた感動です。
影法師は江戸時代の話です。
貧しい下級武士の家に生まれた勘一が主人公です。
勘一の父は、まだ幼い勘一の目の前で、上級武士に斬り殺されます。
勘一は現場近くの中級武士の家に匿われ、そこで同じ年くらいの彦四郎と知り合います。
勘一と彦四郎は、同じ学校に通い、同じ剣術道場に通います。
彦四郎は文武両道でとっても優秀、ハンサムで人柄もよく、皆に好かれており、それでいて根性も座っているという、いうなればドラえもんにでてくる出木杉君のような存在です。
勘一は、恵まれない境遇をバネにして、勉強も剣術も必死に頑張り、なかなかいいところまでいくのですが、それでも彦四郎には追い付きません。
といって、バチバチのライバルというわけでなく、切磋琢磨する仲の良い友人です。
あるとき、百姓一揆が起こり、勘一と彦四郎は鎮圧部隊に加わります。
百姓一揆は、町奉行の機転で大騒動にはならず、けが人も出ず、百姓の要求が通りました。
現場での死も覚悟していましたが、なんだか拍子抜け、と思っていたら、一揆の首謀者の7名とその家族は磔の死罪。町奉行は切腹しました。
勘一は、5歳の子供まで磔の刑というむごさを見て、貧しさが原因だ、世の中を変えないといけない、新田開発のために干潟を開拓しようと決意します。自分の生きているうちには到底完成はしないだろう国家的大プロジェクトに、人生をささげようと決めるのです。
そんで、なんだかんだあって、努力の報いで、出世していき、夢の実現に邁進していきます。
一方、才あふれていたはずの彦四郎は、跡取りではなかったためか今一つ日の目を見れず、やさぐれて酔っ払って狼藉を働いたということで、そのまま行方不明となります。
どうしたんだ、彦四郎!
勘一は、ずっと彦四郎のことが気がかりなのです。
おおざっぱなあらすじはこんなかんじです。
物語は、筆頭国家老にまで出世していた勘一に、彦四郎が死んでいたという情報が入るシーンから始まります。
幼少の頃の出会いの話から現在までをたどりつつ、謎解きみたいな感じになっていくのですが、最後は大どんでん返しで、泣けます。
ネタばれになるので書きませんけど、安倍元首相もここで泣いたんやろな、と思います。
自分の生活や幸福以上のことを大事と思い、その応援のために自分の名誉や命も捨てるという侍の生き方と、政治家の在り方を照らし合わせたに違いなかろうと思うのです。
安倍晋三は、侍やったのやなあ。
ええ話でした。名作です。
さて、戦国の世は過ぎて、平和な江戸の時代、なんのために剣の修行をするのか、友達たちと問答するシーンがあります。
一生に一度、出会うかどうかわからない一大事のために剣を磨く。そしてその時は、死ぬときである、それが武士の矜持だという結論に至ります。
私も日頃、太極拳を磨いておりますが、そこまでの心意気はなかったなあ…。
養生の為と、推手ゲームを楽しみたいのと、たまに人前でええカッコできたらいいか、というくらいです。
後世のために、正しい情報をまとめて記録しておこうという心意気はちょっとありますけど、使うときは死ぬ時だというほどの覚悟はありませんでした。
ほほうと納得したのは、片足を失った暗殺者の「道場などでは、剣は刀全体で切るのが良いとされているが、本当の達人は切っ先だけを使う」というセリフ。
目や首、手首などを浅く切れば勝ったも同然、胴を真っ二つにする必要もないということなのです。これは目から鱗。
しかし、太極剣は、まさにそのように使いますね。
始めは、なんかフワフワして腑抜けた剣術のように思えましたが、暗殺者向けの実用的剣術なのでありました。
現代社会で剣を使うことは、さらにないでしょうが、ここ一番、人生をかけるときのために、磨いておきます。
そういえば安田先生も言っておられました。
中国ではしょうもないことでもすぐに乱闘の暴力沙汰になる、武術を学ぶ者は、ささいなことは我慢したり逃げたりして、武力を行使すべからず、いざ使うときは、自分か相手が死ぬ時と思うべし、ということでした。
太極拳を極めた武人の心がけ、江戸時代の侍とおなじなんだなあと、これまた思い出して感動しました。
>>影法師|百田尚樹
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