伝統武術の伝承について考えてみた

太極拳業界は年寄りばっかりというイメージですが、最近、若い人と出会うことが、ぽちぽちでてきました。

合気道をちょっとやってたとか、24式太極拳を長らくやっていて、推手に関心を持たれたとか、そんなかんじの人です。

若いといっても、私と同い年とか、ちょっと下、40代50代ですが、おじいちゃんおばあちゃんではない世代です。

おばちゃん世代は、先週覚えたことは、今週には9割9分忘れてる、という感じでありますが、このあたりの世代は呑み込みが早いです。

すぐに、ともに楽しめるようになるんじゃないかと期待できます。

(他武術の人たちは、このくらいの世代の実力者が多くて、楽しいです)

本当はもっと下の世代、高校生とか、大学生くらいの人に関心を持ってほしいなあと思っております。

太極拳って、上達するのに、時間がかかります。50歳から始めると、達人とまではいわずとも、後進の指導にあたれるレベルに至る頃には、70歳くらいになっていて、平均寿命から考えると、10年くらいしか、指導者としての活動はできないんじゃないかと思います。(私は150歳まで生きる予定ですので、もうちょっと長く楽しめると思いますが。)

20歳くらいから、正しく鍛錬していけば、40歳くらいで指導者になれて、伝統文化を残すサイクルが堅固になるでしょうけど、今の業界の年齢層をみていると、風前の灯火みたいに思えます。

私の知らないところで、ちゃんとそういうシステムは作られているのかもしれませんけど、伝統武術としての太極拳が、きちんと伝えられているんかな?とは疑問です。体操のノリの表演競技や、競技推手は、もはや別物だと思えますし。

そういうのは、2年や3年もやれば、後輩に指導できるかもしれませんが、本当の武術を指導できるレベルになるには、10年じゃ足りないと思います。(もちろん、どれだけ濃く学び、濃く鍛錬しているか日頃の充実度によって、変わると思いますけど)

私は20歳の頃に太極拳を始めまして、50歳近くまでたいして向上せず、誰かに教えられるような力もありませんでした。

急激に上達してきたのはここ数年、安田先生に教えてもらうようになってからです。指導者によって上達度合いがまるきり変わるという、良い見本、生きたサンプルと言えましょう。

今の私は、達人にはまだ程遠いといえども、初心者にちゃんとした太極拳を教えられる程度にはなったなあーという自信があります。

実力者は、たくさん知っておりますが、きちっと、順序良く、総合的に、身につくように指導できる人って、自分以外には安田先生しか知らないです。(というか、私が安田先生のやり方を踏襲しております)

まだまだ私のレベルでは、初心者か、ちょっとかじったくらいの人に教えられる程度ですが、そのくらいのことさえできていない指導者は、多く見ております。

というか、指導者と呼んでええのんか?というような先生もおられまして、推手の相手をしていた人をてっきり初心者だと思っていたら、どこかの教室の先生だったというようなこともあったりして、ビックリします。

太極拳の裾野は広いようで、なんだか、レベルが低いんだなあーと、凄く生意気で、上から目線の感想を持ってしまう今日この頃なのです。

ちょっと前まで、「えっ、あの人、推手もできて、套路をいくつも覚えているの、凄い!」なんて思ってたものですが、「えー、あんなん推手とちゃうし、ハリボテのコレクションで、人生終わるんかー?」みたいに思ってしまっています。

いやまあ、変わったものです。

でも今の、太極拳メイン世代は、そんな楽しみ方でいいと思います。あえて奥深く広大な世界をのぞき込んでショックを受けて絶望しなくていいと思うし、週に一回、教室で套路を通したら、そのうち達人になれる!という希望を持ち続けて、人生を楽しんでいるのも、それも良しと思っております。これは嫌味じゃなくて、本心から。

でも、若い人が同じように、こんなんでいいんだーと思ってしまったら、太極拳はハリボテしか残らないし、若い人がこんなんでいいんだーと思わないからこそ、始める人がいないのでありましょう。

いろいろ考えながらブログを書きましたが、結局、伝統的太極拳って、目標を作って決まった期間で成果を目指すような、学校のクラブ活動みたいな在り方には合ってないし、やはり昔ながらに、親から子へ、師匠から弟子へ、生活様式とともに伝承していくしか、後世に残っていかないんかな? とかなんとか思ったりしたのでした。

大学生の甥っ子は、へっ、太極拳なんて!と拒否しやがりましたので、うちの娘を、なんとなく、じわじわと、太極拳っぽく染めていこうと思います。

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